その2 〜きっかけ〜

どうも僕です、ホンショウです!


"MCになったきっかけはなんですか??"


この仕事をしておりますとありがたいことに(たまーにですが)取材をお受けすることがあります。そこで高確率…いや、必ずといっていいほど聞かれます。〈いつからですか?〉〈どういった経緯で?〉と、皆さん聞き方は様々ですが簡単に言うと《きっかけ》ですよね。

"○○のMC HONSHOW"
この仕事を始めてからこれまで様々な現場で仕事をさせてもらいましたが、こう文字に現した時にこの『○○』に当てはまるもので思い浮かぶ圧倒的1位はやはり島根スサノオマジックでしょう。今回、島根スサノオマジックさんのMCになった経緯についてつづってゆきます。

僕が携わらせてもらうことになったのは、B.LEAGUE初年度となる2016-17シーズンから。それまでアマチュアのシーンでバスケのイベントを仲間たちと創り、そこでMCをしていました。2014年からです。(時系列逆走しますがこの辺のこともまたいつか書きます。)
2016-17シーズン開幕を10月に控えた夏。前シーズンをもってプロ選手を引退し、フロントスタッフの職に就いた地元松江市出身・曳野康久氏から連絡がありました。彼は同い年、小学生の頃からのバスケ仲間です。
その彼からの連絡の内容こそ「ウチのMCやらない?」でした。

電話口ではカッコつけて『まず一旦、話聞かせてもらってもいい?』とスカした返事をしながらも、口角がこめかみまで上がって顔が顔じゃなくなるんじゃないかくらいニヤニヤした記憶があります。当時もそうですし今もそう。《この街でバスケを知っててバスケで喋れる人間は僕しかいない》という"自負"があります。自分が育ってきた街に、子供の頃からずっとやってたバスケのプロチームがある。僕にとって最高の環境です。それなのに何故そこに僕がいないんだ。僕ならもっとこうしてあぁして…って観戦に行くたびに、悔しさとかもどかしさみたいなのを抱えて帰る自分がいたんですよね。(普段ネタでも関西弁使いませんが、誰やねんですね笑)

"遊び場がないなら自分たちで創ればいい"
そんな先輩たちの背中を見て青春時代を過ごしてきた自分にとって、自分たちで創った現場で自分が喋ることは当たり前というか自然の流れだったので、誰かに自分を認めてもらえた/評価してもらえたということがもの凄く嬉しかったです。

それから7年のシーズンが先月終わりました。

これまでたくさんの方々から数えきれないくらいの激励のお言葉やメッセージ、お声がけを頂き本当に幸せです。感謝してもしきれない沢山の愛を頂きました。

今の僕があるのはこれまで関わって頂いた全ての方のお陰であるんですが、やはり一番大きいのは、曳野康久くんがいたからです。

彼がいなければ。
彼があの日僕に連絡をくれなければ。
彼が同級生でなかったら。

挙げればキリが無いほどのタラレバがありますが、彼がおらんかったら今の僕はないですね。

きっかけをありがとう、康久。

#honshow
#ホンショウ
#きっかけ
#島根スサノオマジック
#曳野康久

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?