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【ココロコラム】使うと損をする言葉

悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのかは、文学的にも心理学的にもいろいろ議論があります。

ただ、とりあえず言えることは、よく泣く人は、泣く機会がなぜか増えるということです。泣くのは感情がかなりあらわになった状態です。これを何度もやると、抵抗がなくなり、感情をストレートに表すことが増えます。その結果、周囲と衝突することも増え、泣く機会に出くわしやすくなるわけです。また、泣いているうちにどんどん自分の否定感が高まってしまい、さらに悲しみも増えます。

泣くのは、一回ならインパクトがあり、効果がありますが、始終泣いているようだと、かえって自分を苦しめる結果になりやすいといえます。

泣くのはわかりやすいですし、大人の場合、なかなか人前で大泣きする訳にはいかないという制約があります。ところが、言葉のほうになると、それが成り立ちません。何気なく使ってしまう。しかし、その場をしのぎやすいのでついつい使ってしまいがちですが、使うと自分が損をする言葉がけっこうあるのです。

たとえば「本当は」という言葉です。「本当の自分」を始め、打ち明け話などによく使われますが、これはけっこう危ない言葉なのです。「本当はこう思う」と言ってしまうと、「ではふだんは別のことを考えているのか」とか、「今までの言動は嘘か」というふうに受け取られてしまいやすい。

前には別のことを言っているのに、本当はこうだとなると、いつも逃げ道を用意しているように感じられてしまいます。最初の言葉でうまくいけばいいし、もし失敗しても「本当はこうだ」という二段構えのようなイメージがあるのです。つまり、話している言葉の誠実さが損なわれて、損をしやすくなってしまいます。

建前を話すときに「これは建前です」と前置きする人はいません。同様に、本当のことや本音を話すときでも、いちいち「本当です」と言う必要はありません。「今はこう思います」などの言い方をするほうがいいでしょう。真に本当に思っていることは、所作や言動の内容からわかるものです。必ずしも言葉にしなくてもいいと思います。

「たぶん」もやめたほうがいい言葉の一つです。「たぶん大丈夫だと思う」などと、つい言ってしまいがちですが、ひねくれた見方をすると、これは「大丈夫だとは思うが、大丈夫じゃない場合でも私に責任はない」のように受け取れてしまいます。自分の責任を回避している言葉に、他人は敏感です。

一時「◯◯的な」という表現や、「そういうことって、よくあるじゃないですか」という「じゃないですか」表現が流行しましたが、下火になりました。これらは、いずれも発言の責任の所在をあいまいにしている(「じゃないですか」の方は相手に押し付けています)からです。

さらに言えば、「たぶん大丈夫です」というのは「実は大丈夫ではない」可能性のほうが高いとさえ言えます。自信を持っていることや、すぐにでもやりたいことなら、あっさり肯定するはずです。また、全く嫌なことやできないことなら、すぐ断るでしょう。「たぶん」は結論を先送りしている。そして、うまくいかないことをどことなく匂わせているところに、不快感を感じてしまうのです。

また、「ねばならない」「必ず」なども避けたほうがいい言葉です。こういう言葉は、人間をマイナスな心情に追い込みやすく、うつを呼び込みかねないからです。しかし、それ以外にも要注意ワードはけっこうあります。知らない間に損をするのもつまらないものです。ちょっと意識して、こういう言葉を避けたいものです。

(精神科医・西村鋭介)


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