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畜産農家と屠畜場に行ったら価値観をぶん殴られました

「血とか大丈夫な人?」
ある日、牛舎と屠畜場の見学に行くことが決まった。

よく知らない世界だけど想像は出来る。
たくさん牛がいて、それが運ばれて、殺されて、捌かれる。

その過程を思えば、わざわざ見なくても惨いとか、可哀想とか、グロテスクとか、そう感じるのは当たり前のことで、だからこそ「いただきます、と言うんだよ。」なんて感謝の気持ちが湧いてきたりするんだろう。きっといい経験値になる、そこまで想像していた。

しかし、実際はそんなありがちなイメージをはるかに超えて、私の人生において貴重な経験となった。食育というには不完全で、感想というには軽すぎる気がする。これから、その目にしたことや考えたことを綴ってみようと思う。

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※以下、屠畜の様子を文面にて表現しています。
 画像添付はありません。
※本記事は個人の感想です。ベジタリアンやヴィーガンの方を否定するものではありません。

●畜産農家で生きている牛に会う

1日目は、とある畜産農家にお邪魔した。
和牛を繁殖・肥育させている牛舎で、かなり自然に囲まれた場所にある。一通り中を案内された後、ここでは3つの体験をした。

1つ目は、出荷直前の和牛のブラッシング。
当日、2頭の和牛が出荷された。
毛についた土などの汚れはほとんど落とされている状態で、迎えを待っている。背中をさすると気持ちがよく、下をぺろぺろと出すんだよ、と教わった。当たり前だが、牛は大きい。いくら人に慣れているとはいえ、迫力がある。近くにいくのも最初は怖気づいた。勇気を出して硬いブラシでなでる。牛は無反応だ。お手本を思い返すと、もっと思い切り力を込めていた気がする。さらにもう少し勇気をだして、ガシ、ガシとなでる。思ったより体温(牛温?)を感じて、温かい。繰り返すと、舌がでた!!かわいい!さっきまで恐れていた気持ちが和らいだ。
牛はなかなか出荷のトラックに乗らなかった。狭いところに入るのが嫌なのか、たくさんの大人に押されてようやく乗り込んだ。トラックは東京に行くらしい。東京でいいお肉としてみんなに美味しいと言ってもらえるといいな、その時は漠然とそう思いながら、大型のトラックを見送ったのである。

2つ目は、子牛のミルクやり。
バケツの中のミルクには様々な成分が含まれている。沈殿したりしてまんべんなく飲めなくなることがないように、子牛が飲んでいる間バケツの中をかき混ぜ続ける。生後3ヶ月ほどの子牛だ。問答無用でかわいい。吸引力はすさまじく、あっという間にバケツは空になった。母乳で育つのが一番いいけれど、中には育児放棄してしまう牛もいるらしい。ミルクをあげるのは、そういった子牛だった。出産後に胎盤を食べるお母さん牛は、とても子育て上手なお母さんになるのよ、と教えてもらった。母親牛にもいろいろあるのだろう。

3つ目は、小屋の肥出し。
これが一番大変だった。THE・肉体労働。まず、長靴を借りてよかったと思ってしまう。ある一区画、機械は使わず、スコップと一輪車往復を繰り返して肥出し。雪かきの道具なんかも使ってかき集めて出すの繰り返しだ。久しぶりの肉体労働を応援してくれているのか、年の割に体力がないのを笑っているのか、牛たちが腰や足をペロリ。においも馴染みがない私にはなかなか苦しかった。時間が経つにつれて慣れていくが、外に出て入るとリセットされる。小並感でしかないが、生き物を育てるのって大変だ。大変な作業だけど、私にとっては数時間の非日常にすぎない。これが日常にあると考えると、働いている人への尊敬や感謝の気持ちでいっぱいになった。


●屠畜場で生きていた牛に会う

2日目は、屠畜場へ。
その日は11頭のホルスタイン種(乳牛)が屠畜されるとの事で、時間が来るまでの間、冷気の立ちこめる部屋で吊るされた多くの枝肉を見る。(枝肉…屠畜のあと血を抜いて、皮を剥いで、内臓・四肢・頭・尾なども落とされた状態のこと)。
この辺りはまだ写真などで見慣れている。そこで、等級や雄雌の違いなどの説明をうけた。ふむふむと聞きつつ、いよいよ屠畜の瞬間がきた。
その場所は、進むにつれてわかる。生きている牛のにおいが強くなっていくからだ。


牛は通路をまっすぐやってきて、おでこに一撃電気をくらう。仮死状態になっているらしい。放たれる瞬間、ドン!という衝撃とともにバンっと大きな音がして、床が空いた。先にはヘルメットをした3~4人が控えており、ナイフ片手に素早く動く。次に目線を移した先では、さっきの牛はもうこと切れていた。頸動脈を素早く切られ、瞬く間に吊るされる。中には一発で仮死状態にならない牛、興奮状態の牛もいるという。ここは正真正銘、命がけの現場なわけだ。そこから先は多くの人の手に渡る。

角を落とす人、顔の皮を剥ぐ人、頭を落とす人、そこからタンやホホ肉を取る人、足を落とす人、そこからアキレスを処理する人、内臓を取り出す人、取り出されたものを見極める人、それを処理する人、全体の皮を剥ぐ人、細かい油を除く人、背割り(吊るされた牛を左右に切り分ける)する人…。あげていたらキリがない。

イメージでは、もっと機械が自動的に行っている部分があると思っていた。もちろん、機械はあり、道具を使用している。しかし、ほとんどの人が「直接牛に触れて作業している」ことに驚いた。純粋に、どんな工程も物理的距離が近いのだ。それに、大きな、広い面積こそ専門の道具があるが、大抵の部分は手持ちのナイフで手際よく処理される。あれだけ大きな動物だが、30分程度ですべての工程が終わるとのこと。
生き物だから個体差もある。手際よく、きれいに枝肉にするにはかなり緻密かつ大胆な技術が必要だ。さっきまで生きていた牛が、みるみるうちに捌かれていく。惨いとかグロいとかのマイナスの感情は芽生える隙もなく、ただ圧倒された。

(…凄い。)

ようやく見つけて絞り出した言葉は、目の前を牛が通過する際の機械音にかき消えた。

●「いただきます」の宛先はどこか

この記事を書くにあたり、『いただきます』の語源について調べてみた。
暮らしの歳時記 ガイド、三浦康子さんの記事によると

「いただきます」の語源ですが、「いただく」は神様にお供えしたものを食べるときや、位の高い方から物を受取るときに、頂(いただき。頭の上)にかかげたことから、「食べる」「もらう」の謙譲語として使われるようになったことに由来します。
やがて、食事を始める時に「いただきます」と言うようになり、食前の挨拶として定着しました。

食事を始める時の「いただきます」には2つの意味があります。
1つめは、食事に携わってくれた方々への感謝。
料理を作ってくれた方、配膳をしてくれた方、野菜を作ってくれた方、魚を獲ってくれた方など、その食事に携わってくれた方々へ感謝のこころを表しています。
2つめは、食材への感謝。
肉や魚はもちろんのこと、野菜や果物にも命があると考え、「○○の命を私の命にさせていただきます」とそれぞれの食材に感謝しており、こちらが本意だと言われています。

(なるほど。) 自身が受けた衝撃の正体がハッキリして、思わず一人つぶやく。

私は今回の体験、2つ目の感謝を学ぶつもりで臨んでいたのだ。言ってしまえば、牛の死を目の当たりにして、命を頂いてることに感銘を受けるつもりでいた。なんと浅はかだったんだろう。なんて消費者本位な感謝だろう。丸腰なら到底かなわない動物の肉が、どうして私たちの手元に安心安全な状態で届くのか。そこに想像力を働かせたことなど一度もなかった。

2つ目の、【食材への感謝】ももちろんある。しかし、私が「価値観をぶん殴られた」と感じたのは、1つ目の【食材に携わった方々への感謝】の奥深さ、つまり普段誰にも意識されることない”携わった方々”の実体にあった。

自分の食卓には、どれだけの人の命が関わって、いや、懸かっていたのだろう。
それは科学が発展した今でも、決して大袈裟なことではない。もちろんあらゆる食材がそうであろうが、殊に牛肉に関しては、私はこの目で見た。
仮死状態になる直前の牛の眼が、その場で働く人々の姿が、足元を絶えず流れる血が、白衣についた返り血が、牛刀を研ぐ音が、私たちの食糧は「当り前じゃない」と云っている。

すると、食事をする前に長い口上を言ったり、お祈りをしたりする人たちの気持ちにも少し寄り添えた。見学前、「結構グロい感じですか?」と聞いた私に、「グロいというよりも、神聖な気持ちになる」と答えた現場の人の気持ちも理解できる。

(宗教めいた表現は嫌煙されそうだから好きではないけれど、)私たちは確かに「とてつもなく大きな生命の営みの一部に存在している」ような感覚になった。これを言語化するのはとても難しくて、今も私にもっと語彙力があったなら…!と悶絶している。

見学前にあった「可哀想で食べられなくなったらどうしよう」という不安は杞憂に終わった。
あれだけの動物や人が関わっていることを知って、むしろ食べないほうが「可哀想」で「失礼」だと感じたから。今は様々な食材を、できるだけ最高の状態で食べたい!と思っている。

屠畜みても全然平気だよ!というテンションで話を進めてしまったが、画でいうとなかなかショッキングなため、そういったものが苦手な方には心からお勧めしない。なにかを悟るよりも畏怖が上回る可能性は大いにあるからだ。合わない苦痛は無理に受けるものではない。

ただ、食に携わっている人の存在を一人でも多く知り、思い馳せることは、自分も、その人も、動物も大切にできるのではないか。どういう行動をすれば、何を考えれば「ムダにしない」「感謝している」ことになるのか、それぞれの答えを導くきっかけになるだろう。

この体験はあまりにもインパクトが強かったため、消化に時間がかかった。
文章もできるだけ体験に沿ったニュアンスで伝えたいと思っていたけれど、ピッタリな言葉はなかなか見つからない。故に、熱量だけで4300文字書いてしまったようなものだ。
これでは、まだまだ文章力が足りないなと思う。

でもこれからも、この熱を忘れずに生きていこう。

(読んでいただきありがとうございました!!)

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