焦り歴

私は自分の誕生日をとても気に入っている。自慢でもある。


8月8日。


末広がりの縁起のイイ、明るい未来が待ち受けている…

この世に生を授かったことに感謝し、「よし、また1年がんばるぞ」と決意新たに歩みはじめる…

そんな日のはずなのだが、ここ数年、いやもっと前からか、そんな気分にはなれない。


焦っている。


新聞社を辞めてフリーのライターになったのに、

書きたいことが、

伝えたいことが、

うまくまとまらない、

そして

年ばっか食っていく自分に

非常に焦っている。


この焦りはいつごろからか。焦っているわりには、そんなことが知りたくなって、過去に書いたブログやコラムを調べてみた。


なんと8年前、新聞社を辞める以前に、すでに年を重ねることへの焦りをコラムに綴っていた。人生への「焦り歴」は、自分が思っていたより長かった。

以下がそのときのコラムです。

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「年を重ねる」

エレベーターで乗り合わせたご婦人から年齢を訊ねられた娘、「6歳だけど、12月に7歳になります」と答えていた。

エレベーターを降りてから、「今まだ5月だよ」と言うと、娘は「いいの」とニヤリと笑った。 


「子ども時代だけですよね、早く年をとりたいと思っているのは」


政治や社会への痛烈な批判や毒舌で人気を博したコメディアンのジョージ・カーリン。4年前(2008年)に亡くなったが、生前、加齢について面白い話をしていた。簡単に訳してみた。

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子どもに年齢を訊ねるとする。彼らはきまって「4歳半!もうすぐ5歳だよ」と興奮気味に答える。ティーンエージャーもまた「16歳」や「21歳」になることを心待ちし、「もうすぐ16」「もうすぐ成人」という答え方をする。それが1年も2年も先のことでも「もうすぐ」なのだ。

憧れの21歳に到達するも、あっという間に時間が経過し30 歳に。三十路にもなれば「30歳と半分です!」と喜んで答える人などもちろんいない。

そして40、50とスピードはさらに増し、「まさか自分がなるなんて」と思っていた60歳に到達。そうなると70歳なんてあっという間だ。

あとはもう「えっ、もう水曜日?!」と毎週驚いているうちに80歳を迎え、「そろそろランチタイムか」「もう4時半か」と毎日過ごしながら90代に突入。ところがその頃から、年齢に対する感覚が逆戻りする。

「ワシはまだ92じゃ」

そしてさらに不思議なことが起こる。1世紀を生き抜くと、われわれは子どもに戻っていく。

「私100歳と半分です」

* * * 

娘は今、7歳になりたくてしょうがないらしい。

友だちに会える「明日」や、遠足のある「来週」を心待ちにしながら毎日を生きている。同じ待つでも「寝坊できるから」との理由で週末を楽しみにている私などとは大ちがいだ。

先日、あるブログに「年をとるのではなく、年を重ねていきましょう」とあった。

「ただただ時間が過ぎるのではなく、1日1日を大切にし、自分に何が出来るのか、どうすべきかを考えながら過ごし、年齢に関係なく成長し続ける。そんな年の重ね方をしたいものです」

子どもたちのように明日が待ち通しい、そんな生き方をしようと決意した。ただ年を訊ねられて「この8月で46歳になります!」と張り切って答えられるかは疑問だ。

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久しぶりにこれを読み返してひとこと。


「46歳なんて、まだまだ若いっつーの!」

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