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なんとなく、SNSの雰囲気に飲まれて、言いたいことが言えない。

映画を観たり本を読んだりした後、すぐにスマホを開き、SNS上にある誰かの感想をみてしまう。同じコンテンツに触れていても、鑑賞者それぞれの意見は違うはずなのに、つい自分の解釈は合っているか、他の人の感想をみて答え合わせしてしまうのだ。

最近よく聴くポッドキャスト番組「働く女と◯◯と。」の第42回で紹介されていた、ゲストの三宅香帆さんの著書「推しの素晴らしさを語りたいのに『やばい!』しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術」が気になり、ページを捲っていると、痛いところを突かれたような気分になった。

本には推しを語るうえで大切なことが書かれているのだが、同時に多くの人がSNS上でなんとなく“ダメ”“良い”とされている雰囲気に飲まれ、自分が素直に感じたことを自分の言葉で語れなくなってしまうことが問題視されていた。例えば、SNS上で“善悪の政党”が存在したとすると、当人は善とされる側の人間だと思っていても、それは単なる思い込みであり、思い込みであることにすら気づいていない可能性があるということだ。

私は是枝監督の「怪物」を観に行った後、「めちゃくちゃ良かった……!!!」と感じていた。けど、Twitterを開くと「なぜLGBTQはいつも悲劇的に描かれなきゃいけないのか」「クィアの存在を不可視化した駄作だ」などのコメントも多く目にした。それらの意見を受け止め、自分はなぜ良いと感じたのか、自分の視点に足りないところは何かなどを考えられたら良かったのに、SNS上のコメントや記事を読んでいくうちに妙に納得した気分になり、作品に対して肯定的に感じていた箇所すらも忘れてしまっていた。

このように、なんとなく意見が偏っている方向に流されてしまう人は少なくない気がする。例えば「おじさんたちの考え方はダメだ!」という意見があったとしても、「どのようなおじさんたちのことを指しているのか?」「どのような考え方がダメなのか?」「なぜダメなのか?」など、深く考える作業をスキップし、「おじさん=悪」のような極端な考え方に至ってしまった人は多いのかなと。表面上の情報にだけ捉われてしまうと、根本的に問題を理解(解決)するには程遠い。

この本では、読書や映画鑑賞をした後はSNSを見るのを我慢し、自分の感じたことを自分の言葉でメモすることが推奨されていた。誰の言葉も借りずに純度100%の感じたことを記録として残しておくだけで、自分自身の価値観ひいては人生(人生の積み重ねで今の価値観が構築されているという意味で)に目を向けられる。「他者ベース」を「自分ベース」に変えることで、他の人の考えも自分ごととして考えられる気がする。

もしかしたら、他人の意見を聞いた時、自分も同じように感じていると錯覚していたかもしれない。なので、これからは最初に自分の意見に目を向け、次にさまざまな意見を聞いたうえで「私はここがつらかった」と言えるようになりたい。それが、自分にとっての新たな視点や価値観となり、問題の根本を知ることに繋がると信じているから。

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