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内にこもる音楽家、外に出る音楽家

私の将来の夢、というか、もうこの歳になってゆめやなんやと言っていられないのだけれど、つまりは生業が教員に決まりそうだ。地元では深刻な講師不足らしい。働き手ならいくらでも欲しいということなのである。

ここで注釈を入れておくと、私は人格がいくつかあるため、このnoteというブログ(のようなもの)を使って記事を書いていても、どうしても「です・ます調」「である調」が混在してしまう。同一人物が書いているが、このようにバグが起きてしまうということをご承知願いたい。


さて、今回のテーマは

音楽家の性質について。

前々から私は、教員になるにあたってSNSとの付き合い方についてかなり悩んできた。一時期はとんでもない数のピアノカバーを匿名でツイッターに投稿して100リツイートくらいを獲得したりしていたし、かと思えばそのアカウントは消して、なるべく呟かないように…と意識したりもしている。

現代の子供達にとってSNSはとても脅威にあたるものであるし、教員はそれらの魔の手から子供達を守るための教育をしなければならない。そんな立場の教員がYouTubeに演奏動画を載せたり(もちろん職務規定に反しない範囲で)、SNSを使っていて良いのだろうか?今最も葛藤している問題と言っても過言ではない。


ここで、なぜ私が葛藤しているかについてもう少し詳しく掘り下げると、音楽家には4つのタイプがいると私は思うのだ。

①内向的で、自分の世界にこもっている音楽家

②内向的だが、外の世界から情報を取り入れている音楽家

③外交的だが、自分の世界にこもっている音楽家

④外交的で、外に自分の音楽を発信する音楽家

②と③に関しては少々説明しなければならない。まず②はまさに私だ。基本的に好きな音楽のジャンルが自分の中で確立されており、こういう音楽がしたいと内に秘めているものがあるが、様々なところから情報収集をしているせいでなかなか大成しない。

③に関しては、基本的に自分の知らない音楽に目を向けつつ、またそれらを吸収しつつ、結局は自分のところに帰ってくる音楽家。

①の音楽家は作曲家、特にポップスやDAWを使った作曲家に多く、その人にしか出せない空気感、○○サウンドといったようなネーミングがつけられることもある。その一例として、先日アルバムをリリースした私の友人、長谷川白紙を挙げておこう。本人は違うと言うかもしれないが私の中では彼の音楽は圧倒的に①の音楽家が作るそれである。

④はどうだろうか。これは教育者に多いタイプなのではないかと思う。常に面白いネタを探して動き回っており、それを子供達に発信する。私も本来ならこのタイプでなくてはならないのだろうか。


私の音楽人生において、目標とする人物は数名いる。

しかしその数名の人物が①〜④の同じタイプに当てはまっているとは言い難い。

ある先生は②だし、ある親友人は①だし、母に至っては④。

私は今、自分を見失いかけている。どんな音楽家、音楽指導者になりたいのか。自分なりのスタイルがあっていいとは思うが、この議題(特に教員とSNSの付き合い方について)に関しては、もう少し考えていく必要がありそうだ。

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