見出し画像

全部中途半端でも、かえるところは

沈む夕日に照らされつつ、ちょっと暗くなりかけた淡い青の空をぼんやり見つめつつ、どこか春を感じるような風を浴びながら自転車を漕ぐ。

「全部中途半端。それじゃあ、ぬるいね」

いつか誰かから送られた言葉を思い出したのは、社会人という次のステージが目前に迫りつつあることがふと頭をよぎったからだろうか。

昔から、なにか思い出すとしばらくぼんやりとああだこうだと考えにふけるのがクセなもので、バイト帰り、自宅へ向かおうとペダルを漕ぎ始めてからずっと、言葉の破片と疑問の数々がぐるぐると頭を巡っていた。

たしかにそうだよなあ

全部中途半端だということは、ずっと前からわかっていたことだよなと思う。休学をはじめる時だって、特定のインターンや海外留学をするわけでもなく、流れてきた約20年間を取り戻すぞ!とか、やってみたいことをご縁に任せてとにかくやってみる!とかよくわからない目標を掲げて過ごしていた気がする。

実際、インターンとアルバイト2本と、ラジオと、その他もろもろの活動やイベント参加/企画という、何本柱かを自分でしっかりスケジュール管理してやっていくことは、今振り返ってみてももっとうまくできたのでは?と思う部分もあったりする。

結果が出ないと評価されない社会は、容赦ないけど、現実。
たまに、1つのことを突き詰めている人を見ては、そうするべきだよなあという気持ちになることも事実。


ただ、そんなときにふと、いつもかえるのは、
私の人生かけて近づきたい、憧れの人の生き方。

「ミュージシャンと作家など、はたまた役者など、両立できるわけない。
どれか一つに絞ってはどうか」

明確に上記の言葉ではないが、彼もまた、
他者から向けられたそんな言葉に立ち向かっていた人。

私から見て、彼がその言葉を受けてどう感じたかとか、
詳細に何をしてきたかななどは、触れられるメディアで世に出回っているものでしか知ることはできないけれど。

「細々とでも続ける」ということを通して、今では彼は
俳優であり、音楽家であり、文筆家である。

そして、彼が出しているイヤーブックに綴られていた、
”やってみたいと思ったことはずっと覚えている。
数日か数か月か、数年経って「あ、今ならあれができそうだ」と
思ったタイミングで現実のものとしてアクションを起こしている”

という言葉を思い出すのだ。

甘えだろうか。
そうだとしても、ちょっとここにかけてみたいなと思ったりする。
人生の8割は予測不可能なことでできているのだから。

仮に1本に絞らざるを得ない状況がやってきたとしても、その時は仮でこの道で!と自分に宣言して、他のことは細々とでも、バランスを探りながら私は生きていこう。どんなことが待っているか。楽しみ。

戒めと、励ましの意を込めて🌷

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?