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【読書記録】多和田葉子さんの『犬婿入り』を再読した話。

ものすごく小説が読みたくなって、多和田葉子さんの『犬婿入り』を20年ぶりくらいに再読しました。

なんで『犬婿入り』かって、そりゃ「必ず読み終えられる」のがわかっているからですよ~(一度読んでるのでね、情けなや)。
普段、概説書みたいなのばかり読んでいると、小説を読むハードル自体が意外と上がります。読めないときは本当に読めない。一ページ目で、「この作品世界とおつきあいするのは無理」となることもある。
小説読みたい! と思っているときに、そんな自分自身が障壁となったら、辛い。だから、好きな作家の昔読んだことのある作品から始めよう、は鉄則です。

で。

この本は、近年日本でも著名になってきた多和田葉子さんの初期作品集で、芥川賞受賞作の「犬婿入り」と、「ペルソナ」という短編2編が収録されております。
1990年代初頭に発表された作品です。(これ、結構重要)

以下、ネタバレありますので、ご注意ください。
また、個人的な誤読ですので、ご了承ください。

「ペルソナ」

「ペルソナ」をあらためて読むと、バブル景気の頃の日本人の煮凝りみたいな作品だなあと思いました。
日本はアジアの他の国とは違う、飛びぬけたナンバーワンなんだという自負に天狗になりつつ、だからといってアジアの国々を見下してはいけないよね、と表面上は装う。装いつつ、欧米の白人様から「アジア人」扱いされるともやもやするし、「日本人は何を考えているかわからない」と言われたら、狼狽える。

道子と和男の姉弟はそんな当時の日本人で(当たり前か)、姉弟の関係でも男尊女卑が如実に表れる。弟の世話をかいがいしく焼く姉。姉に対し気分で接する弟。

結局、ドイツにも日本にも居場所のない道子は、言わなくてもいいことをどんどん言ってしまう。自分の立ち位置を確かめるように。
ああ、迷える子羊よ。

化粧をしなければ日本人に見えない道子。
偽物の仮面を被ることで、日本人にも見えず、犯罪者のように認識される道子。
見た目ではなく行動こそが、真実重要な姿。

文学作品を歴史史料として読んじゃまずいじゃん、とわかってはいるものの、あの頃の日本人のばたばただよなあ……と思ってしまうのでした。
当時既に大人だった人たちの中に、今でも当時の感覚を後生大事に保存されている方が時々いらっしゃいますが、いつの世もそういう世代感覚の違いというのはあって、それはもうどうしようもないというか、生きてる時代が違うんだもんね、はい。
で、少なくとも当時大人だったひとりとして、あの頃の未熟さを振り返りつつ、痛い若人だったおのれにも恥じながら、生きていくしかないんですよね、はい。

「犬婿入り」

民話を題材に取った、不思議な物語です。
というか、「つる女房(鶴の恩返し)」とか「雪女」とか、民話ではいつも女が異形のものじゃん、でもそれだけじゃないんだぞ、というやつですね。
南総里見八犬伝の、犬に嫁入りするのとも違う、「犬婿入り」。婿なので、家は女側。女系。

物語の世界には、昭和のまったりとした空気が流れ、明治を引きずっていそうな旧集落と昭和そのものの新興団地が存在し、両地域をつなぐ役割を負っている〈キタムラ塾〉。
塾を営む北村みつこ自身も謎多き女性で、そこに太郎と名乗る男がやってきて住み着く。

みつこも太郎も他の登場人物も、普通ではない。唯一、折田さんという近所の主婦のみが普通の人で、物語が現実からずれていけばいくほど、折田さんの視点が増えていく。
物語世界の接点としてのみつこと、物語と読者との接点を担う折田。ともに女性。
小学生男児が話を引っ掻き回すことがあっても、引っ張っていくのはいじめられていた扶希子。

小説として、つるんと読めて面白いし、文体も「ペルソナ」と「犬婿入り」で違うのがいいし、リハビリの一冊として選んだことに間違いはない。
ただ、「この作品で描かれたことはなにか」というのは、不勉強な私には難しい話です。すみません。

解説的なことは書けませんが、この本は面白かったし、2000年代初頭くらいまでの多和田葉子作品の中では、読みやすい作品集だと思います。(『変身のためのオピウム』とか挫折したまんまですもん)

小説をどう読むか

小説を読むのって、ほんっとうに難しいと思うんですよ、私は。
「わー、面白かった~」「このお話、好き~」で済むなら、苦労しない。
好きに読みゃいい、それはそうなんですが、できれば書かれている内容を味わいたい。読み解きたい。でもそれには、根本的な基礎教養と読み解き方の修練が必要で、素人にはなかなか難しい。

だからといって、尻込みして読まない、書かない、を続けていてもつまらない。下手は下手なりにでも考えていないと、死ぬまでぺらいまんま。だから書く(という言い訳)。

文学道を本気でされている方から見れば、感想文は小学生でも書けるし、いや自分語りはいらんし、でしょうけど、まあいいじゃん。
作品は書かれたそのときに読むべきだ、ってどなたかが仰ってましたが、私は逆に、作品がタイムカプセルの役目を果たしてくれているので、時代が過ぎてから読むのもおつなものですぜ? って、以前も書きましたっけ?

という程度の読書記録を、今後も書いていくつもりです。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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