見出し画像

【読書記録】ちゃんへん.さんの『ぼくは挑戦人』を読んで考えたこと

ちゃんへん.さん(木村元彦さん構成)の『ぼくは挑戦人』を読みました。

単行本発売時に話題となっていた本で、その当時も気になっていたんですが、反面「タレント本?」的な感覚を抱いておりました。大変失礼いたしました。
今回、読んだきっかけは、斎藤美奈子さんの書評本にあったからで、ただただちゃんへん.さんのお母様の言葉に心揺さぶられたからですね。

いや、でも、本当に読んでよかったです。

在日コリアン差別問題

ちゃんへん.さんは、在日コリアン3世の方で、幼くしてお父様を亡くされ母子家庭に育ちつつ、おじいさまおばあさまの愛を受けて、成長されます。
小学生の時にいじめに遭いながらもジャグリングと出会い、世界的なパフォーマーとなられる半生をつづられたのが、この本です。

ただ、単なる成功者の物語ではなく、日本による韓国併合以後の歴史に翻弄された人々の生きざまを表した書です。
在日コリアンの方々に対するヘイトスピーチが、まさに今の日本でも垂れ流されておりますが、いやもう、弱者がより弱者を叩いてどうすんねん。

終戦時に子どもだった人(ちゃんへん.さんのおばあさま)が、身寄りのない日本で、親御さんとも生き別れて、とにかく生き延びるのに精一杯で、身寄りのない者同士で(ちゃんへん.さんのおじいさまと)伴侶となり、いつか祖国に帰ることを夢見つつがんばって生活をして、しかし愛息に先立たれ、今度は日本で生まれた孫(ちゃんへん.さん)のために日本で生きていこうと覚悟を決められた。ただただ普通の一般人じゃないですか。ちゃんへん.さんのおじいさまは、孫息子のために日本国籍まで取られて。
日本が韓国併合しなければ、この方々が日本で生きていくことはなかったかもしれないのに。
歴史の責任は、今を生きる者が負わなきゃいけない問題です。時間は戻せないのだから。

この本の中ほどにある、ドイツ人ジャグラー、ピーターさんの、日本でのヘイトスピーチ、デモに対する意見が、とても胸に響いたので、以下引用させていただきます。

「キム、被害者の君が、『やっているのは一部の日本人だ』と、全体化しないことは素晴らしいと思うよ。でもね、キム1人にとっては部分的な問題でも、僕たちにとっては全体的な問題なんだ。少なくとも僕たちの目には、あのヘイトスピーチはキムを攻撃しているようにしか見えないし、キムの家族や他のコリアン全てを攻撃しているんだ。完全な差別だ。日本の社会があれでいいわけがない」

ちゃんへん.著 木村元彦 構成 『ぼくは挑戦人』

日本人は割と「よそはよそ、うちはうち」で区切ってしまいがちなところがありますが。
外からどう見えているか、という意識を持たないと、世界の中で生きていけませんね、小国なので。
差別を容認する国……となれば、いざという時に誰にも助けてもらえない。情けは人の為ならず、自分たちのために在日コリアン差別・外国人差別をすべきではないんです。

日本社会と群集心理

また、この本を読んでいると、日本で苦労して生きてこられたからこそ、日本社会や群集心理をわかってらっしゃる、そういうところに気づかされる部分があります。

例えば、冒頭でも触れた、ちゃんへん.さんのお母様。
ちゃんへん.さんが小学校でいじめに遭った際、学校(校長室)に来て、いじめはなくならないだろうと仰るんですね。
以下、引用させていただきます。

「黙れ! 子どもにとってあんなおもろいもん、なくなるわけないやろ!」
(中略)
「わしな、なんでこの学校でいじめがなくならへんのか知ってるんやけど、教えたろか?」
(中略)
「それはな、この学校で、子どもたちにとっていじめよりおもろいもんがないからや! お前、学校のトップやったら子どもたちにいじめよりおもろいもん教えたれ!(後略)」

ちゃんへん.著 木村元彦 構成 『ぼくは挑戦人』

そして、いじめをした相手の子にも、

「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんてせえへんのや。お前らのやってることはただの弱いもんいじめや。強さを自慢したかったらルールある世界で勝負せえ!」

ちゃんへん.著 木村元彦 構成 『ぼくは挑戦人』

超かっこいいお母様!
校長室でこの啖呵を切れるということだけじゃなく、人間心理や日本社会がどういうものか、熟知していたからこその啖呵だという部分に、脱帽しかございません。
お母様自身、子どもの頃からこの国の悪意にさらされ続けてこられたでしょうに。だからこそ集団心理の本質を押さえることなど、容易かったのでしょう。

集団で弱いものを叩くのは面白い。
しかし学校のトップである校長に、より面白いものを提示されれば、子どもたちはそちらになびくだろう。権威者に弱い社会だから。

ちゃんへん.さんの曾おばあさまも、幼かった孫にこう語り掛けるんですね。

「いつか自分が頑張れるものに出会ったら、それを一生懸命頑張って1番になりなさい。そうすると、守ってくれる人がたくさん集まってくる」

ちゃんへん.著 木村元彦 構成 『ぼくは挑戦人』

この言葉をちゃんへん.さんは、以下のように解釈されます。

この言葉の本質は、大会などで1番になるのではなく、『誰にも負けないものを1つ見つけ、人に頼られ、そして何か人のために役に立てる人間になりなさい』というところにあったのかもしれません。

ちゃんへん.著 木村元彦 構成 『ぼくは挑戦人』

なんという、バランスの取れた、曾祖母と曾孫のキャッチボールなんでしょう。

曾おばあさまから見ると、幼い曾孫は、みんなから守られるべき存在だったのではないでしょうか。
しかし日本社会は在日コリアンに冷たく、戦後も権威主義的価値観が色濃く残っている。社会的権威者にならなければ、日本人は助けてくれない。だから、権威者となるべく這い上がれと。

この文脈に思い至ったとき、社会的成功者が若者に「人脈をつくれ」と言っているのを思い出しました。
この場合の人脈って、自分の役に立つ人脈というやつで、自分の世界を拡げてくれたり困ったときに助けてくれたり、そういう人をたくさんつくれってことですよね?
で、その場合、自分よりも能力が高かったり社会的権威が上だったりする人とつながろうと、まあ四苦八苦するわけで、でも相手からしてみれば、そんなぺーぺーと親しくしたって旨味がないし。
だから社会的権威者におべっかを使ったり、権威者に気に入られるようサービスしたり、え? 実は権威者が得をするための呪いの言葉だったりする?

本当は、目の前の人を大事にしましょう、という意味から始まった言葉かもしれないけど、効率化重視の社会だと、権威主義を助長する呪いに陥っていく。

ですが、曾おばあさまの「1番になれ」という願いを、実際に世界的パフォーマーとなった曾孫は「人の役に立てる人間になれ」と解釈します。

ちゃんへん.さんは、ジャグリングの世界では立派な権威者となった。
そして権威者たるもの、人の役に立つ人間であるべきだと認識する。
民主主義社会の権威者の姿を、示したもらったような気がします。

おわりに

結局、のほほんと生きてる人間には、何も見えていなかったんだよなあ……というのを突きつけられた一冊でした。
これだから、読書ってやめられないんですよね。

負の歴史を受け止めることは、ものすごく辛いことです。
私も大学時代に始めて在日2世の方のお話を聞いて、そのときは自分の足元が崩壊するような気持ちになったし、「それやったの私じゃないし」という感情もわきました。でも今の日本がそんな過去の上にあるのも、朝鮮戦争特需で経済復興したのも、また事実。

強くなりたいですね。
負の歴史と向き合って、その上でみんなが安心して暮らせる社会をつくれるように、強くなりたい。
そうすることでしか、これからの時代を守れないと思うので。

いいなと思ったら応援しよう!

ほんのよこみち
よろしければサポートをお願いします。いただきましたサポートは、私と二人の家族の活動費用にあてさせていただきます。

この記事が参加している募集