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半藤一利氏の『昭和史1926→1945』に学ぶこと。

連休で、半藤一利氏の『昭和史1926→1945』を読了した。

もちろん、540ページ以上ある文庫なので、一週間足らずでは読めない。途中、何度もページをめくる手が止まり、3週間くらいかかったかもしれない。これ以上読みたくない、そう思わずにいられないのが、昭和史。暴走と転落、破滅と敗北への20年。どうやっても塗り替えられない歴史の地獄が、厚さ2.4センチに積みあがった紙の底で待っている。

実はこの『昭和史1926→1945』、手に取るのに5年くらいかかった。近現代史は気になっていたが、このぶ厚い本は怖くて手が出せなかった。憂鬱な20年を読み終わるまで、メンタルがもつだろうか。その不安に打ち勝てなかった。勝てずに、ずるずる来た。

以上が前置きで、まあ、ああだこうだとしたものの、『昭和史1926→1945』は、予想以上に読みやすく、その上わかりやすかった。不安は全くの杞憂だった。
ですます調の文章で、若者に教え諭すような語り口で、日本史の授業(しかも面白い)を聞いているような感覚で読めた。そして、繰り返しになるけれど、わかりやすかった。
わかりやすいのは、各々の事件がなぜ起こったのかを、それに絡む人間たちの思考を説明しながら、語られている点にある。
日本はソ連が怖かった。日露戦争で勝ったと言いつつ、あれがやっとこさの停戦だったことを感じているから、何としても防波堤をつくりたかった。それが満州国につながった……と言われたら、気持ちはすごくわかる。是非はともかく、あんな大国とは二度と戦いたくなかったろう。
あの戦争については、異論もたくさんあろうけれど。史料を読みこみ、生存者に話を聞きに行き、その嘘と真を読み解きながら記されたこの本には、説得力がある。推論になる部分には、ちゃんと推論であることも提示されているので、より納得できる。歴史の「なぜ」が書かれていると、事件が生きてくるので、理解しやすい。

そして、巻末でもまとめられているが、我々子孫は、あの戦争から学び、その教訓を現代に活かさなければならない。同じ破滅の道を、再び歩むようなことがあってはならない。
それは別に、諸外国への謝罪と同義語ではない、と私ははっきり言いたい。
大事なのは「日本は負けたのだ」ということを認めることだと思う。
日本は負けた、敗戦した、多くの人を死なせてしまった。この事実だけは、絶対に認めなければならない。
その上で、なぜ負けたのかを考えていかなければ、みすみす同じ負けを繰り返してしまう。なぜなら日本は、そもそも戦争するのに不利な国だから。
小さな島国で資源もなく、大陸の端に位置する故に、最新の情報・文化が伝わってくるのが遅い。ネット社会で緩和されたとはいえ、生来の内向き気質から、外国とのおつきあいがうまいとは言えない。その点、中国のしたたかさには舌を巻く。三千年、外交に悩まされてきた国と、鎖国を繰り返してきた国との差は、どうしようもない。
話を戻そう。100年前の日本人は、そもそも不利だと自覚していたのに、戦争に突入した。ナチスが欧州で勝ってくれれば、なんとかなる……なんて他力本願な甘い見通しの上に、無謀な戦線拡大をした。具体的な戦略もなく、勢いだけで戦争をした。何度シミュレーションしても負けるとわかっていたのに、対米英戦に突入した。火力兵器が足りないとわかっていたのに、精神力でなんとかなると豪語した。野菜だと思って現地の草を食べればいいとして、食糧の補給を怠った。そして兵士を餓死させた。
この歴史から、負けないための戦略を立てる、物事を綿密に計画立てる、最悪の場合も想定してシミュレーションする、これらのことは最低限、学ばなければならないと思う。
それをしなければ、あの戦争で亡くなった方たちに顔向けができまい。

今、人類全体が新型コロナウィルスという敵と一年以上戦っていて、我々のあまり芳しくない戦況を考えると、今こそ敗戦から学ぶべきなんじゃないかと思う。
わからない、と思考停止しないで、空気に流されず、どうすればいいか具体策を考え、そのための学びを惜しまない。目先の利益に左右されず、これから生まれてくる子どもたちのためにどんな社会を残すか、その視点で考える。
故・半藤一利氏は、我々のためにテキストを残してくれている。
この本は、多くの方に読まれるべき本だと思っている。






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