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言葉の中の旅

この連載「旅の言の葉」では、錚々たる人物への取材を重ねてきたインタビュアーの木村俊介さんに、これまで旅先で出会った言葉の中から、とくに印象深いものを綴っていただきます。どのようにしてその言葉と出会い、なぜその言葉に惹かれるのか――。

『博士と狂人』という映画を観た。映画館は京都の四条にあり、私がいま住むところから歩いていけるほど近所だ。だが、そこで最近ではもっとも旅をしたような心地を味わった。

 私は2020年の春、京都にある大学の専任教員になり、関東から関西へ転居した。かつては旅先として好きだった土地に来たと言える。ただ、感染症をめぐる世界的な状況があり、あちこち出歩くのは控えている。

 そんな中、辞書編纂にまつわるノンフィクションを元にしたこの映画を鑑賞したら、次のような内容のセリフにハッとさせられた。

「本を読む間だけは、誰からも追いかけられずに済む」
「言葉の翼があれば、人は世界の果てにだって行ける」

 本を読むとは、言葉の一言ずつに集中することで他の活動をせず、ある世界に旅をするようだと感じたのだ。

 旅には、日常で実践できたり、せねばならなかったりすることを一時的に捨て、限られた所持品といずれ終わる期間のワクの中でやれるものごとに集中できる自由さがある。そのようなトリップは、本という言葉の連なりに入りこむことを通してもできる。それこそ、旅や本に親しむおもしろさの本質なのではないか。

 そう思うと、外に行けないときにでも、精神的な旅には割といつでも出かけられるとわかる。言葉の中の空間は、ほんとうの世界と同じか、時にはそれ以上に広く深く開いて待ってくれている。

 言葉を読めば、そこに封じこめられた誰かの頭の中の世界が温め直され、息を吹き返し、トリップさせてくれるのだ。

 私は、小説家の桜庭一樹さんへのインタビューで次のような考え方を聞かせていただいたことがある。

「物語を摂取するって、自分の価値観が揺さぶられて、死んで、生まれ変わるような経験だと思うんです。人間は完全ではないからこそ、そんなふうに物語を読んだり書いたりして、何回も人生をやり直したいんじゃないでしょうか」

「人間は物語を創作したり摂取したりを繰り返して生まれ変わり続けなければ、つらい実人生を受けいれられないことがあるという意味では、物語を書く人も読む人も同じことをしているのかもしれません」

 言葉が連なっていくプロセスを読んだり書いたりすることで、人は、ある意味では生まれ変わり続けられる。

 旅の道を辿ることも、何かそれと似ている。それまでの生活からいったん離れ、生まれ変わり直す行為なのかもしれない。

文=木村俊介

木村俊介(インタビュアー)
1977年、東京都生まれ。著書に『善き書店員』(ミシマ社)、『料理狂』(幻冬舎文庫)、『仕事の話』(文藝春秋)、『漫画編集者』(フィルムアート社)、『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)、『物語論』(講談社現代新書)、『「調べる」論』(NHK出版新書)、『仕事の小さな幸福』(日本経済新聞出版社)、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)、『芸術起業論』(村上隆/幻冬舎)、単行本構成に『西尾維新対談集 本題』(講談社)、『海馬』(池谷裕二・糸井重里/新潮文庫)、『ピーコ伝』(ピーコ/文春文庫PLUS)、『イチロー262のメッセージ』シリーズ(ぴあ)などがある。

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