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人生折り返し地点を過ぎたんだから、自分に何ができるか考えないとな。(岡山県倉敷市 マスカットスタジアム)|旅と野球(6)

全国津々浦々にあるもの、それは美しい空と自然、そして野球場。誰もを魅了するスターだって、彼らに憧れるスター候補だって、諦めちゃった趣味人だって、グラウンドに立てば皆同じプレーヤーである。彼らが、日本のどこかで野球の試合を繰り広げている様をスタンドに座って観戦して、人生の縮図みたいな展開に熱中し、選手たちに声援を送ることで、私たちは「自分のこと」も、いつしかそっとなぞるようになる……。
ふらふらして頼りないけど、ちょっとだけ心の中が穏やかになるかもしれない。そんな風変わりな野球観戦記。

連載:旅と野球

「え、野球、見るの?」

 ひと目でまいったなとわかる表情で、妻はそう言い放った。

「しかも社会人野球って」

「うん、今日見てきて楽しかったからさ」

「どんなところが?」

 僕は勢い込んでプレゼンテーションを始めたが、焦れば焦るほど言葉は空回りしていった。このような時のために準備してあった心の中のパワーポイントを満を持して開いたが、俺的ベストナインなどを無理やり集計した円グラフが数個と、慇懃無礼な「ご清聴ありがとうございました」の文字が並んでいるだけで、役に立つ気配はまるでなかった。

 僕は過去の自分に心から失望しながら、妻に対して、すごい、面白い、絶対に、の3つのフレーズを順番に唱えるだけになってしまった。

「大リーグならねえ、見ないこともないんだけど」

 喋り疲れた僕に妻がいけずなコメントを寄せてきた。

「アメリカまで行って何を見たいんだろう」

「ま、いろいろ、ね」

 大谷翔平の所属チームすらうろ覚えであろう彼女の減らず口に乗って、非建設的な会話を楽しみつつプレゼンを再開したいと思った。だが、笑顔で語られるいつもの口調の中に、あんまり行きたくないな、という本気のトーンが混ざっているように感じた。

 そもそも僕が一緒に野球観戦をしたい理由なんて、突き詰めれば自分の趣味の押し付けでしかない。そして、僕たちは趣味嗜好がまるで異なるとお互いに理解することで、ここまでの日々を過ごしてきている。さらに言えば、この感じを続けていくことに関して、少なくとも僕に異存はない。

 “OK余裕、未来は俺等の手の中” *

 昨夜のミュージシャンがステージから繰り返し語りかけてきたフレーズを口の中で唱えて、僕はこのあと何を食べるか、に話題を切り替えた。

 久しぶりの岡山だった。

 妻と顔を合わせるのも久しぶりだった。前日に僕が拠点としている名古屋で家の用事を済ませてから、夜にライブを一緒に観て、朝にクルマで岡山に移動した。

 僕が観たかったミュージシャンのライブだった。妻にとっては、仕事を終えて岡山から移動した上に、まともに聴いたことがない人たちのライブを聴いているわけである。

 僕が誘った形ではあるものの、行くかどうかは妻自身で決めている。とは言え、楽しめているかどうかは気になった。だが、そっと様子を伺うと、案に相違して嬉しそうで、ステージを一心に見つめていた。ライブの後、ファンサービスが神と称されるミュージシャンにサインをもらう際も、胸いっぱいになって喋れない僕をよそに、妻は物おじのかけらも見せずカジュアルに語りかけていた。

「人生折り返し地点を過ぎたんだからってフレーズ、あれ、心に響きました」

「うん、ステージで口にしてみたら、すごくしっくりきたんだよ」

 今日は来てくれてありがとう、長年のファンのような顔で語り合っている妻を羨ましく思いながら、彼女と一緒に来て良かった、と実感した。

 そんな小さな成功に気をよくして、以前からの念願であった野球観戦に誘えば、楽しめるんじゃないかと想像したのである。

「ゴーゴーレッツゴー」

 ブラスバンドと太鼓の応援歌が響き渡り、そこに拡声器越しの女性のハイトーンボイスが乗っかる。観客がまばらなスタンドには似つかわしくない大音声が球場を包み込んだ。

 ライブの翌日、妻を事務所に送り届けた後、僕は倉敷市にあるマスカットスタジアムに来ていた。プロ野球の試合も開催される球場は、我が中日ドラゴンズの二軍のホームであるナゴヤ球場にも引けを取らない貫禄があった。

 休日だったが、妻には仕事があった。長距離運転の疲れもあったので、僕はオフ日にすることにした。といってもやることは特にない。

 遊びに誘う人もいなかった。子どもたちはここから数百キロ離れた街で、勉学やベース演奏に勤しんでいるはずだし、岡山にいる唯一の友人には、仕事も家庭もある。声をかけるにはあまりに急であろう。

 妻と外で食事しようと約束した夕方までにできることは、野球観戦くらいしかない。そう得心した僕は、情報を調べて、マスカットスタジアムで都市対抗野球の一次予選が開催されていることを知り、1時間弱クルマを走らせてきたのである。

 都市対抗野球は、社会人野球の最高峰を決めるトーナメント戦だ。

 予選といえども精鋭が集まっているのだろう。選手たちの動きは両チームともきびきびしていて小気味良かった。グラウンドの状態も良好で、イレギュラーバウンドに観ている方まではらはらする必要はなさそうだった。

 僕は安心して、椅子に腰掛け、本格的に観戦を開始した。

 改めて応援席に目を向けると、観客の数は双方合わせてせいぜい100名くらいだった。予選の決勝戦は翌日ということもあるのだろう。だが熱量は高く、どちらも企業名やチーム名などを染め抜いたのぼりを戦国時代の合戦の如く林立させていた。しかも一塁側のチームは強豪のようで、応援も盛大に行っていた。

 応援団長らしき男性、太鼓係、応援団員兼ブラスバンドの録音を大型スピーカーで再生する係、チアリーダー、そして拡声器でレッツゴーと鼓舞する女性というミニマムな編成で、音だけ聞けば応援団コンクールでも健闘しそうな勢いの応援を展開していた。歳の頃50過ぎくらいの団長以外は若者で、勢いもある。

 選手たちも、味方を皆で鼓舞するし、チャンスになると皆で歓声をあげる。とはいえ過剰に声を張り上げたりヤジを飛ばしたりはしない。統制が取れた応援は、高校野球やプロ野球のそれとは異なる洗練を感じさせるものだった。なるほどこれが社会人野球か、と僕は感心した。

 拮抗していた試合は6回に動いた。それまで0点に抑えていた強豪のピッチャーが突如崩れ、ランナーを溜めたところでホームランを打たれた。相手チームの逆転である。はっきりと潮目が変わり、その後、強豪は相手を追い詰めるものの、あと一本が出ないまま最終回までずるずると来てしまった。

 強豪応援団はずっとチームを鼓舞し続けていた。最終回になってもテンションが試合開始の時といささかも変わらないところに彼らの真剣さが現れていた。

 ブラスバンドの録音が流れ、女性が声を張り上げ、男性団員とチアリーダーは手足を打ち振るわせる。さすがに太鼓係が疲れてきたようで団長が交代する。だが勝手が違うようで、途端に叩き出すリズムがもたり出した。聴きようによってはダブミュージックっぽくもあるが、ブラスバンドの前ノリとは完全にミスマッチである。はらはらしながら見守っていると、試合の方がゲームセットとなってしまった。

 相手チームと挨拶を交わす自軍の選手たちに視線を向けていた応援団長が、スタンドに向き直して声を張り上げた。

「選手たちにねぎらいを、そして相手チームにエールを」

 仕事終わりに駆けつけたのだろう、制服姿でスタンドの入り口に立っていた、団長と同じ世代と思しき女性が一緒になって拍手を送る。

「明日も敗者復活戦があります。負けられない試合がまだ、まだ続きます」

 そう言って深々とおじぎをした団長は、応援団員と一緒に巨大スピーカーや太鼓を片付けて帰る準備をはじめた。少しくたびれたその横顔から感情は読み取れない。だが、若い団員やチアリーダーと小声で打ち合わせをする姿には、自身が勤める会社が誇る野球チームを応援してきたことへの誇りが滲んでいるように感じた。

「人生折り返し地点を過ぎたんだから」

 昨夜のミュージシャンの言葉を思い出した。これからを、どう生きるかだよな。

 同じ年頃の彼がそう語りかけることで、僕は時間が有限であることを意識し、今からできることが限られているという当たり前を、改めて自覚した。

 今、後片付けを続けている、僕たちより少し年上と思しき団長や制服姿の女性にとって、今日の応援は日常に組み込まれたささやかな非日常として、長い人生の柱に刻まれていく出来事なのだろう。惜敗した側を応援したい感傷も手伝って、そんな当たり前を自らの意思で選び、守ってきている彼らの姿がひときわ尊いものに感じられた。

 声も枯れよと声をあげ、踊り続けた若い男女の応援団員たちが、スタンドで自らが人生の折り返し地点を過ぎたことを実感する瞬間は来るのだろうか。

 球場に夕焼けが広がりはじめていた。明日の敗者復活戦と決勝戦にはもっと人が集まるはずだ。彼らの晴れ姿をもう一度見たいな。そう考えて、僕は陽光の熱がほのかに残る席を立った。

「私たち、いっつも散歩しているねえ」

 いくつか候補は出たが結局いつものところで妻と食事をとってから、街をしばらく歩いた。

 長い散歩になった。

 アーケードを抜け、古い街並みをリノベーションした一角に出ると、妻が足を止めた。店の前に置かれた段ボールに視線を注いでいる。近づいてみるとガラクタが詰め込まれており、中のものを無料で持っていってよい、と書かれた札がささっていた。

 往年のゲームウォッチを見つけて、これは掘り出し物だ持って帰ろうと埃を払う妻を見ながら、確かに僕たちはずっと散歩をしてきたな、と感慨に耽った。

 20代の頃、僕たちは杉並区のアパートに住んでいて、週末になると二人で善福寺川という川に設けられた遊歩道を歩いた。そして、小さなグラウンドで繰り広げられる草野球を見物したり、隣のコートから飛び出してきたものを集めたとしか思えないテニスボールを詰め込み、臆面もなく「1個100円」と大書した札を差してある段ボールを見て笑ったりしていた。目的もなく、ただ歩く。そんな散歩を自分たちの日常に組み込んでから、もう20年以上が経っているのである。

 子どもたちが進学で家を出て、妻が家族の拠点である岡山、僕が自分の両親が暮らす名古屋、という二拠点生活を始めて半年以上が過ぎている。忙しさにかまけて、僕が岡山を訪れる頻度は、当初の予定よりずいぶん少なくなっている。今回も明日早くに出張で東京に発たなくてはならない。

 それなりに考えて決めたつもりだったはずの暮らしが、思っていたものとは少し異なる「日常」になっていくことへの焦りを感じて、僕は手にしたペットボトルのお茶をごくりと飲んだ。

「やっぱり野球観るのは今度にしたいな」

 ゲームのボタンを押しながら、妻がつぶやいた。応援団も見てみたいけれど、昨日もライブ観たからさ。

 うん、そうしよう。僕は答えた。彼女が、言いたいことは分かるような気がした。会った時に大きなイベントばかり続けたら、このひとときが当たり前でなくなってしまうから。

 何か言葉を継ごうとしたタイミングで、やっぱり置いていくよ、これからは本当に欲しいものだけでいいや。ゲームを段ボールにそっと戻して、妻は笑顔で立ち上がった。

 “OK余裕、未来は俺等の手の中”

 何者でもない若い時に、誰もが味わうもどかしさを表現した言葉は、何度も何度も聴くうちに異なる意味を持つようになった。

 歳をとっても、明日はくる。試合に勝っても負けても、明日はくる。僕たちは、淡々とやってくる明日を受け入れ、変わりゆく状況に合わせながら、自分たちの日常をつくっていくしかないのである。

 あのさ、僕は手ぶらで歩き出した妻に追いついて語りかけた。今度、必ず行こうよ。大リーグは、もうちょっと先かもだけどさ。

「岡山にも、もうちょっと来るようにするから」

 語り続けた先に、言い添える言葉が残っていた。

「うんわかった」

 妻はうなずき、いけずな笑みを浮かべた。

「今度、熊野で南方熊楠にまつわるイベントがあるんだよね。あと、淡路島の修行もまた行きたくてさ」

 一緒に行こうよ、どっちも。言葉にならない言葉を受け取った僕は、曖昧な顔をしてうなずきながら、「いつもの感じ」をもうちょっとだけ楽しむべく、目の前に現れた路地への寄り道を提案した。

文・写真=服部夏生
イラスト=五嶋奈津美

*作詞:ILL-BOSSTINO 作曲:O.N.O THA BLUE HERBの「未来は俺等の手の中」からの引用

服部夏生(はっとり・なつお)
1973年生まれ。名古屋生まれの名古屋育ち。幼少時、テレビ中継で田尾安志の勇姿を見て、中日ドラゴンズのファンとなる。小学生の頃は、当たり前のようにプロ野球選手になることを妄想し、ドラフトで永遠のライバル、読売ジャイアンツに指名されたらどうしよう、と本気で悩んだが、満を持して入った野球部でほどなくフィールドプレーヤーとしての才能の限界を痛感、監督に勧められてスコアラーとなり、データを分析してチームを下支えすることに喜びを感じるように。大人になっていつしか野球を見ることもなくなり、社会の下支え係も大して全うしないまま馬齢を重ねてきたが、『ほんのひととき』での連載「終着駅に行ってきました」の取材で偶然目にした草野球に感銘を受け、観戦を再開することに。著作に『終着駅の日は暮れて』(発行:天夢人、発売:山と渓谷社)、『日本刀 神が宿る武器』(共著、日経BP)など。

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