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上勝町の仙人 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2022年8月号「そして旅へ」より)

 ここ数年で忘れられない旅といえば、徳島県の上勝かみかつちょうでのことでしょうか。ゴミをゼロにすることを目標に「ゼロ・ウェイスト宣言」をかかげ、国内外から注目されている所です。2019年の冬に雑誌の取材で訪ね、リサイクルが根付いた暮らしや、町民がゴミを持ち込むゴミステーションなどを見学しました。なんとゴミは13種類45分別……。東京の分別に慣れている身としては気が遠くなりますが、細かい分別によってゴミの約8割をリサイクルに回せているそうです。若い町民も「ゴミは洗って干せば資源になるんです」などと意識の高い発言をしていて頭が下がります。普段からゴミを出さないように、余計なものを買わなかったり、量り売りの店で食材を購入したりしているとのことでした。

 さらに俗世から隔絶されているのが、山の中の一軒家にひとりで住んでいる中村修さん。上勝町の仙人と呼ばれていて、山奥に住む人を訪ねる某テレビ番組に取材されたことも。70代には見えない、仙人というより妖精のような平和な雰囲気の男性でした。自給自足の生活を見学しつつ、私も薪で火をおこしてカレー作りなど体験させていただきました。トイレは、肥料として裏の畑にまくという話だったので、使う勇気はありませんでしたが……。

 以前、ネパールのお寺で暮らしていた中村さんは、ネパールの高山地帯の人々の生活を日本でもしてみたいと思って、30年ほど前に上勝町にたどり着いたそうです。案内してくれた方は、時々中村さんを訪ねて人生のヒントをもらう、とおっしゃいました。その方は「この前、スタバから中村さんが出てくる姿を目撃しました」と突っ込んでいて、仙人がスタバに!? とギャップに驚きましたが、「山の中にいるから市街に行くのがリフレッシュになるのね」と、中村さん。普段は食料を買いに行くにも徒歩で、下山と登山で往復2時間半かかっているそうです。でも、山を独り占めしているような贅沢な環境で「自分の時間を自分のためだけに使いたい」と、アート作品をじっくり作っているスタイルを羨ましく感じました。

 そんな中村さんが今年のゴールデンウイーク、なんと東京の代官山で、塗り絵のワークショップを行うことを知って、即予約して参加しました。会場に行くと、あの仙人のお姿が……。時が経っても変わらぬ肌のつやは、大自然の中での健康生活の賜物でしょうか。中村さんに、線を自由に描いて塗る、というシンプルなアートの技法を教わることができました。「東京の空気はやっぱり汚れてますよね?」と聞くと「思ってたほどじゃなかった」とマスクごしに笑う中村さん。山奥にいた時と変わらぬテンションで、軸がぶれない人はどこに行ってもそこが世界の中心になるんだと感じ入りました。ちなみに私のことは完全に忘れておられましたが、そこもまた仙人の現世への執着のなさを物語っているようでした。あんな風に軽いエネルギーで生きる人を目指したいです。

文=辛酸なめ子 イラストレーション=駿高泰子

辛酸なめ子(しんさん なめこ)
漫画家、コラムニスト。東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒業。芸能界からスピリチュアルまで、あらゆる社会現象を独自の視点で観察し、執筆。近刊はみうらじゅん氏との共著『ヌー道 nude じゅんとなめ子のハダカ芸術入門』(新潮社)。

出典:ひととき2022年8月号

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