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【市長官邸藝文沙龍】樹木に覆われた高級官舎が文芸サロンに|『増補版 台北・歴史建築探訪』より(4)
台湾在住作家である片倉佳史氏が、台北市内に残る日本統治時代の建築物を20年ほどかけて取材・撮影してきた渾身作『台北・歴史建築探訪』。このほど発刊される増補版では、初版の171件に加えてコロナ禍でリノベーションしたレストランやカフェなど約40件が追加されています。この連載では、『増補版 台北・歴史建築探訪』より一部を転載し、ご紹介致します。
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喧噪の大都会の海に浮かんだ小さなオアシス。ここはそんな表現が似合いそうな場所である。旧台北高等商業学校の向かいに位置する木造家屋で、かつての台北州知事公邸だった建物である。
敷地面積800坪というこの建物は、当時の高級官舎によく見られた和洋折衷のスタイル。全体の雰囲気は日本風で、畳敷きの部屋はあるものの、基本的な間取りは洋風となっていた。家具などについてもすべて舶来物で統一されていたと言われる。建物の性格上、当時、館内の様子を目にした人は多くないが、贅のかぎりを尽くしていたことは疑いない。
この建物が竣工したのは1935(昭和10)年のことだった。建坪は152坪となっており、邸宅としては当時最大級の広さとなっていた。敷地内に植えられた植物は亜熱帯性のものだけが選ばれ、濃い緑が木造家屋のたたずまいを際立たせていたという。
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終戦を迎え、日本人が台湾を離れた後は台北市長の公邸として使用されるようになった。その後、新しい公邸が竣工すると、この建物は使用されず、荒れ果てていった。そこを台北市が修復し、芸術サロンとして市民に開放したのは2000年11月のことだった。
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館内の各部屋は多目的スペースとなっており、展示スペースのほか、講演や会議などにも利用されている。また、ベランダにも客席が設けられており、ここは併設されたカフェのテラス席となっている。
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見逃せないのが敷地内に植えられた亜熱帯の植物たちである。日本統治時代、台湾の庭園には本土では見られない南国の植物が好んで植えられていた。これは要人が視察にやってきた際、庭先を散歩するだけで台湾の風情を味わえるようにという配慮だった。老木となった樹木は、空を埋め尽くすほどに繁茂しており、亜熱帯性植物の旺盛な生命力を感じさせている。
文・写真=片倉佳史
──書籍『台北・歴史建築探訪』は、台湾在住の筆者が20年かけて取材・撮影してきた渾身の作。今回発刊される増補版では、初版の171件に加え、コロナ禍でリノベーションしたレストランやカフェなど、実際に訪れたくなる約40件を新たに追加しています。カラーの美しい建築写真をご覧になり、日本人と台湾人がともに暮らした半世紀を振り返れば、きっとまた台湾を旅したくなるはずです。ぜひお楽しみください。
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片倉 佳史 (かたくら・よしふみ)
1969年生まれ。早稲田大学教育学部卒業。武蔵野大学客員教授。台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)代表。台湾に残る日本統治時代の遺構を探し歩き、記録。講演活動も行なっている。妻である真理氏との共著『台湾探見 ちょっぴりディープに台湾体験』『台湾旅人地図帳』も好評。
●ウェブサイト「台湾特捜百貨店」
▼市長官邸藝文沙龍(旧台北州知事公邸)
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