見出し画像

歌人・穂村弘さんと短歌の桜めぐり

歌人・穂村弘さんが選んだ短歌とともに、桜咲く日本列島を旅してみませんか。ひととき2022年4月号より)

 いちばん最初の桜の記憶はなんだろう。そう思って考えてみた。それは入学式でもお花見でもなかった。なんと、チャンバラだ。

 私の子ども時代は、背中に風呂敷を背負ってチャンバラをする遊びが流行っていたのだ。風呂敷はマントの代わりである。月光仮面をはじめとして、当時の正義の味方は皆マントをひるがえしていたからだ。そして、チャンバラには刀が必要。私のそれは桜の枝だった。どこからか拾ってきたのか誰かに貰ったのか、思い出せないけど、友だちの刀よりも恰好良くて羨ましがられた。

 初めて桜の花を見た時、あまりの華やかさに驚いた。「これが僕の刀と同じ樹なの?」と不思議な気持ちになった。もちろん、私の愛刀に花は咲かなかったけれど。


東京都杉並区 

撮影=2009年 齋藤亮一


 桜は特別な存在として、昔から多くの歌に詠まれてきた。幾つかを紹介してみたい。


水流にさくらる日よ魚の見るさくらはいかに美しからん

小島ゆかり『月光公園』


 陽の下で咲き誇る桜のほかにも、夜桜、花吹雪、はないかだとさまざまな姿がある。だが、この歌には、そのどれとも違う桜が描かれている。「魚の見るさくら」は無数に降り注ぐ花びらを水中から見上げることになる。地上の人間はまず体験することのないアングルだろう。作者はその「さくら」を「いかに美しからん」と、うっとり想像しているのだ。


弘前公園(青森県弘前市)

外濠の花筏は一度は見てみたい絶景。2023年のさくらまつりは4/21~5/5。撮影=2014年・切畑利章 
弘前観光コンベンション協会
[問]0172-35-3131


夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん

 馬場あき子『雪鬼華麗』


 真夜中にふと目覚めて見ると、花吹雪が怖ろしいほどだった。〈私〉が眠っていた間も、休むことなく散っていたのだろう。その正体は桜の姿をした〈時〉ではないか。〈私〉が起きていても眠っていても、一瞬も止まることなく〈時〉は流れる。ただ、普段はその姿が目に見えることはない。けれども今、〈時〉の化身として、目の前に花びらが降り続けている。


だい桜(岡山県真庭市)

県内唯一の巨樹で樹齢1000年とも。
見ごろは4月上旬~中旬。撮影=2013年・齋藤亮一
真庭市役所落合振興局[問]0867-52-1111


 さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと
  死んだひととはおなじさ桜!

林あまり『MARS☆ANGEL』


 作者の林あまりは坂本冬美の代表曲「夜桜お七」の作詞も手がけた。掲出歌は、その原作となった一首である。〈私〉は夜桜の花吹雪を身に浴びながら、来ない誰かを待っている。「さくらさくら」「死んだひと」「おなじさ桜」とサ行の音が花びらのようにさらさらと流れてゆく。その先に「夜桜お七」の「さよならあんた」というフレーズが生まれたのだろう。


桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわが眺めたり

岡本かの子『浴身』


 現代では、お花見と云いつつ、浮かれて騒いでいる人々の多くは肝心の桜などほとんど見ていないようだ。だが、この作者は違う。桜が命懸けで咲いているから、自分も命をかけてそれを眺めたという。桜も生き物、〈私〉も生き物。植物と動物という違いを超越して、命と命が火花を散らすような、桜と〈私〉の真剣勝負だ。


武蔵野中央公園(東京都武蔵野市)

見ごろは3月中旬~4月上旬。撮影=2020年・齋藤亮一
武蔵野中央公園サービスセンター
[問]0422-54-1884


文・短歌選=穂村 弘

──この続きは、本誌でお楽しみになれます。美しい桜のグラビアはもちろん、最後に書かれた穂村さんが桜について語るエピソードは、ぜひご一読いただければと思います。短歌とともに、誌上の桜めぐりをお楽しみください。


▼ひととき2023年4月号をお求めの方はこちら

穂村 弘(ほむら・ひろし)
歌人。日本経済新聞歌壇選者。歌集に『シンジケート』(講談社)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館)、『水中翼船炎上中』(講談社)などがある。新刊は『短歌ください 海の家でオセロ篇』(KADOKAWA)、『彗星交叉点』(筑摩書房)。

出典=ひととき2023年4月号

この記事が参加している募集

今日の短歌

桜前線レポート

よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。