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【彦根城】解体直前に「城を壊すな」、明治天皇が間一髪で守った城

東海道・山陽新幹線沿線には、日本を代表する多くの城が存在しています。2015年に刊行された書籍『新幹線から見える日本の名城』(加唐亜紀 著)から、その内容を一部抜粋してご紹介いたします。

 明治になり、城は無用の長物となった。城の跡地は軍の施設や役所、学校などに転用された場合もあったが、安く払い下げられたこともあった。

 こうして払い下げとなった城は、地元の人々などの尽力で建物が壊されずに残ったケースもある。彦根城もこうした例のひとつなのだ。ただし、ほかの城と違うところは、「城を壊すな」といったのは、地元の人ではなく、明治天皇だった。

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 明治5年(1872)、彦根城が陸軍省の管轄となる。この頃、膳所(ぜぜ)城や水口(みなくち)城など近くにあった城は解体されており、彦根城も明治11 年(1878)に解体されることが決まっていた。建物の一部が大津に移され天守を解体するために足場も組まれていたとき、彦根城の運命が変わる出来事があった。それが明治天皇の北陸巡幸である。

 明治の世となり、徳川将軍の世から天皇の世へと時代が変わったことを広く人々に知ってもらうために、明治政府は、明治天皇が日本各地を訪れるプログラムを組んだ。それが、明治天皇の巡幸で、この一環として明治天皇が訪れた場所にはそれを記念する碑が立っていることが多い。

 明治11 年10 月11 日、北陸巡幸を終えた明治天皇が京都へ向かう際、中山道の円照寺に宿をとった。このとき、明治天皇に随行していた大隈重信が彦根城天守が解体されると聞き、明治天皇にそれをやめさせてほしいと進言したとか、北陸街道にあった福田寺に井伊家ゆかりの者がいて、そこに立ち寄った明治天皇に彦根城を壊さないようにお願いしたなどと、いわれている。

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 いずれにしても明治天皇の北陸巡幸の際に起こった出来事で、明治11 年10 月15 日、宮内卿の名で滋賀県令(今の県知事)宛てに出された「彦根城を保存するように」と命じた書類がなければ、現在国宝である彦根城の天守は、予定通り明治11 年には解体されてしまったことだろう。

出典:新幹線から見える日本の名城
※この記事の内容は書籍刊行当時(2015年)のもので、現在とは異なる場合があります。詳細は、お出かけの際、現地にお確かめください。
※本記事で使用している写真と、書籍に掲載されている写真は異なる場合があります。

本書では、新幹線の駅や車窓からお城が見えるポイントや「ゆかりの名物」、お城に関するさらに詳しい解説などが読めます。

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著者:加唐亜紀(かから・あき)
編集者。長年、歴史関連書籍の編集に携わった後、独立。歴史分野を中心とした編集、執筆業務を行う。主な著書・共著に『写真と絵でわかる日本の合戦』『ビジュアル百科 日本の城1,000城』(西東社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『“復元”名城完全ガイド』(イカロス出版)、『歴史道 vol.3』『歴史道 vol.10』(朝日新聞出版)等がある。

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