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「奇想の絵師」の才能が開花した地へ|南紀と長沢芦雪(和歌山県串本町)

江戸時代、京都で活躍した絵師、長沢せつ。彼が南紀を初めて訪れたのは1786(天明6)年のこと。半年ほどの南紀滞在中に、師の円山応挙まるやまおうきょとは一線を画す大胆かつ独創的な作風を打ち出し、全盛期を迎えたと評されています。串本町くしもとちょうりょうふすまをはじめ、約270点もの作品を残した南紀での足跡を辿りながら、なぜ、この地で才能が花開いたのか、その理由と人物像に迫ります。(ひととき2023年12月号特集「南紀と長沢芦雪」より)

串本町 本州最南端へ

 江戸時代後期の天明の世、ひとりの絵師が本拠地である京都をあとにして紀伊半島の南部へと旅に出た。その名を長沢芦雪。写生を重視した円山派の祖、円山応挙の門弟である。

 旅の目的は届け物だった。本州最南端の地、串本町の無量寺は地震による大津波で流失する悲運に遭ったが、およそ80年後に当時の住職だったかい和尚が再建した。愚海は応挙と長年の親交があった。ずっと再建に奮闘する愚海に応挙はつねづね言っていた。

「あなたの寺院が完成したときは、前途を祝い必ずわたしの作品を届けます」

 その日が来たのだ。約束通り仕上げた作品だが、多くの門弟を抱え、高齢でもあった応挙は出向くことができなかった。そこでみょうだいとして指名されたのが芦雪だった。芦雪は秋に出発する。届け物だけでなく、現地でしかできない制作も委ねられていたのだろう。南紀を行脚し、いくつもの寺をはじめ、知り合った人びとのために自らの作品を多く描いた。気づけば、年が改まり滞在は半年に及んだ。

長沢芦雪
写生画の祖・円山応挙の高弟。師の画法を忠実に学ぶ一方で、模倣にとどまらず、早い時期から独自の作風を模索。大胆な構図や、どこか愛嬌のある動物画など、応挙とは異なる個性を確立した。現代では、伊藤若冲じゃくちゅう、曾我蕭白しょうはくらとともに「奇想の絵師*」と称されるひとり。 
*美術史家の辻のぶが昭和40年代に打ち出した視点で、江戸絵画ブームの原点を作った

光あふれる地

 芦雪の南紀を辿ってみよう。

 その旅にあたり福田美術館(京都市)の学芸課長・岡田秀之さんにご教示を仰いだ。江戸絵画が専門の岡田さんは芦雪の追跡と研究に情熱を注ぐ人だ。平明な言葉で深い意味を明らかにする。道中で多くを教わった。岡田さんは言う。

「応挙のもとにはたくさんの才能がひしめいていました。そうしたなかで、襖絵といった大きな作品をあまり経験していなかった芦雪をあえて派遣したのは、その門弟の優れた資質を見抜いていたのでしょう」

旅人の岡田秀之ひでゆきさん/1975年、大阪府生まれ。福田美術館学芸課長。MIHO MUSEUM、嵯峨嵐山日本美術研究所を経て現職。専門は江戸絵画で、各所で芦雪の特別展を担当。著書に『かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』(新潮社)など

 芦雪が訪れた串本に着いた。

 本州最南端といわれると、なるほどと納得する。降る陽ざし、目にする植生がいかにも南国だ。そして紀伊半島の尖った先が海に迫り出している地だから、開放感はたっぷりである。

 串本屈指の景勝地・海金剛うみこんごう

 気候風土の異なる京都からやってきた芦雪は、そして紀州といえば熊野、神の住む鬱蒼うっそうとした森を思っていたかもしれない芦雪は、この陽ざしに、海の輝きに度肝を抜かれたのではないか。きっと何かをつかめそうな予感で高揚したことだろう。

 令和の無量寺を訪ねる。

無量寺は臨済宗東福寺派の別格寺院。1707(宝永4)年の大地震による津波で流され、1786(天明6)年、現在地に本堂を再建

 静かな住宅地のなかにある趣き深い寺だ。境内はきれいに整えられている。見るからにベテランらしい庭師がとても手ぎわいい仕事をしている。と見惚れていると、岡田さんと親しいあいさつを交わした。庭師ではなくあずま洞雲とううん住職だった。

無量寺の住職・あずま洞雲とううんさん。「お勤めの際は、芦雪の虎と龍に見守られているように感じますね」 

 さっそく芦雪を鑑賞させていただく。本堂に、「虎図」と「龍図」が向かい合うように配置されている。実際の作品は1990(平成2)年、境内に建てられた串本応挙芦雪館収蔵庫で管理されており、本堂にあるのは複製だがきわめて精巧だ。

襖絵「龍図」の一部 無量寺蔵

 虎も龍も力強い。とりわけ惹かれるのは虎だ。訪れる前に何度も写真でお目にかかっていたが、こうして6面の襖で実際に相対する勇ましい姿は強烈だ。大きな爪、くびれた腹、長い後ろ足が躍動感に富む。それでいて睨む顔の愛嬌のあること。ずっとそばにいたくなる目と鼻とヒゲだ。

襖絵「虎図」の一部 無量寺蔵

「以前、小学生たちをご案内したことがあるのですが、その翌日に年配のご夫妻が見えて……」

 東谷住職は言う。

「最近この地に移ってこられたそうなのですが、きのう孫が家に帰ってくるなり、お寺にすごい絵があるよと目をキラキラさせて報告するものですから、と」

 おじいちゃんおばあちゃんもさっそく訪ねてきたのだという。なるほど、今にも飛びかかりそうなあの足と目と鼻とは一瞬で少年の心に棲みついたのだ。

本堂で虎図に見入る岡田秀之さん。通常、本堂は拝観できないが、取材として特別に見学させていただいた

 収蔵庫の完成よりおよそ30年前に誕生したのが串本応挙芦雪館展示室である。5室に分かれ、応挙、芦雪の襖絵以外の作品をはじめ近世絵画が展示されているだけでなく、串本町から出土した土器や石器など考古資料も収蔵する。

 大画面ではなく、比較的小さな芦雪作品と立ち話するように味わえる。ちょっと長い時間立ち話してしまったのは「唐子遊図」だった。子どもたちの群像。よく見ればひと癖ありそうなのも気の弱そうなのも。目が離せなくなる。

襖絵「唐子遊図」 無量寺蔵

旅人=岡田秀之 文=植松二郎 写真=阿部吉泰

──来年、2024(令和6)年に生誕270年を迎える長沢芦雪の足跡を辿る旅は、このあとも続きます。なぜこの地で芦雪の才能が花開いたのか、その理由と人物像に迫る本誌特集記事をぜひお楽しみください。力強い中にもどこか愛嬌のある芦雪の絵画を数多くご覧になれる保存版です!

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<目次>
●[PART1]串本町 本州最南端へ
●串本で芦雪に出会う
●[PART2]白浜町・田辺市 太平洋に臨み

特別展「生誕270年 長沢芦雪」に合わせて京団扇の老舗とコラボしたグッズ。2024(令和6)年は生誕270年にあたるため、大阪や福岡で特別展を開催

出典:ひととき2023年12月号

特別展 生誕270年 長沢芦雪
大阪中之島美術館(~12/3)
https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/
九州国立博物館(2024/2/6〜3/31) https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s71.html

無量寺 
☎0735-62-0468 
串本町串本833
[時]境内のみ散策自由
https://muryoji.jp/
串本応挙芦雪館 
☎0735-62-6670
串本町串本833 
[時]9時30分~16時30分(最終受付16時)
[休]不定休 
*展示替え、その他の都合により臨時休館あり(ホームページ参照)
[料]本館・収蔵庫1300円、中学生以下無料
*荒天時は本館のみの観覧で入館料は700円
*作品保護のため、収蔵庫に入館の際はマスクの着用が必要です(撮影時のみマスクを外しています)

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