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リーチも魅せられた陶郷へ (大分県日田市)|ホンタビ! 文=川内有緒

作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。

 曲がりくねった渓流に寄り添うように古い民家が立ち並んでいる。家々の間には、立派な登り窯が幾つも横たわり、煙突からは煙が細くたなびく。あちこちから鳴り響くズドン、ズドンという大きな音。

 東京から来た私は、あまりの異世界ぶりに、いったいどこに来ちゃったんだろう……と周囲を見回した。

 ここは、焼き物の里として知られる大分県日田市の小鹿田おんた。聞こえてくるのは、川の水の力だけで動かす「唐臼からうす」で、土をく音である。小鹿田では、なんと江戸時代と同じように機械や動力を使わない手作業による焼き物作りが続けられている。

集落の真ん中にある共同の登り窯。9軒ある窯元のうち5軒が共同で使用している

 原田マハさんの小説『リーチ先生』は、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチが小鹿田を訪れるところから始まる。リーチが握手をするために手を差し出す場面が私にはとても印象的だった。

 目の前に右手が差し出された。高市はその手を見つめた。

 長い指。幾多の皺が刻み込まれた手のひら。皺には、陶土の細かい粒子がこびりつき、真昼の光にさらされて輝いているように見えた。

 それは、紛れもない陶工の手だった。

(中略)何年も、何十年も、こつこつと、ただ陶器を作るためだけに、一生懸命働いてきた手。

 物語は、リーチの助手の亀之助とその息子の視点を主軸に展開され、彼らの目を通して、民藝運動を提唱したやなぎ宗悦むねよし、濱田庄司や河井寛次郎などの陶芸界のスターも続々と登場。近代日本の陶芸の発展を知ることもできる興味深い一冊だ。

[今月の本]
原田マハ著
リーチ先生』 (集英社文庫)
イギリス人陶芸家バーナード・リーチの半生を、2代にわたってリーチの弟子となった親子の視点から描く長編小説。物語は1954年にリーチが大分県の焼き物の里・小鹿田を訪れるところから始まる。日本の美を学び、西洋と東洋の芸術の架け橋になろうと奮闘したリーチと、リーチを支え続けた弟子たち。国境や身分、時代を超えて受け継がれる芸術の尊さと、彼らの生き方に心打たれる一冊 *本文中太字の箇所が本書からの引用です

 実際にリーチは、1954年に小鹿田に3カ月ほど滞在している。そのとき、かつて中国大陸から日本に伝わったとされる「飛びかんな」の技法を目の当たりにし、リーチはとても喜んだ。「飛び鉋」は、金属の道具で焼き物の表面にリズミカルな模様つける技術で、小鹿田焼きの特徴となっている。どうやら、リーチ自身も「飛び鉋」を試したようで、小鹿田焼陶芸館に残るリーチ作の大皿にはちょっと不規則な「飛び鉋」が刻まれている。

リーチ作の「鹿文大皿」。数字は小鹿田を訪れた年/小鹿田焼陶芸館
リーチ作の皿と壺を見つめる川内さん
リーチはウエット・ハンドルと呼ばれる水差しの取っ手の付け方を小鹿田をはじめ各地の窯場に伝えた

 現在小鹿田には、9軒の窯元があり、そのひとつである坂本たくみさんとそうさん親子の窯を訪ねた。工房では、今年60歳になる父と33歳の息子が、ふたり並んでゆったりとロクロに向かっていた。

小鹿田焼協同組合理事長の坂本工さんの窯/轆轤ろくろで成形する工さん(右)と息子の創さん。作業場は同じだが納品先は親子で異なり、それぞれの陶芸を追求する 

 実は小鹿田では、一子相伝により窯が受け継がれている。一子相伝といえば北斗神拳くらいかしか思い浮かばない私は大いに驚いた。しかも、窯を継ぐことができるのは男子だけ(息子または婿養子)。現代日本においては、厳しいしきたりである。

 思わず、あの、後継者問題とかはないんですか、と工さんに尋ねた。
「ありますよ。自分は女きょうだいしかいなかったので、両親からは『私たちを捨てないで』って言われました。これ、笑い話じゃなくて本当の話ですよ!」

 その率直な話ぶりに、こちらも笑顔になり、場が和やかになった。

 工さんの後に坂本家の窯を継いだのが、息子の創さん。高校卒業後、鳥取県のクラフト館岩井窯に弟子入りし、2年の修業を経て小鹿田に戻った。

「僕の師匠の山本教行のりゆきさんは、リーチ先生から直接指導を受けた一人です」

 創さんのその言葉を聞き、急に小説の『リーチ先生』が現実に飛び出してきたような気がした。

 思えば、あの小説の中で描かれたリーチの手と同じ手が、私の前にあった。二組の手により、さっきまで土の塊だったものが見事なお皿の形になっていく。

回転する器に、白い化粧土を付けた刷毛を当て模様をつける「打ち刷毛目」の技法

 やっぱり水差しも作るんですか、と尋ねると「作りますよ」とふたりは答えた。リーチの影響を受けて日本で作られるようになったもののひとつが、取っ手のついた水差しだと言われる。もともと小鹿田では、リーチ訪問の前から取っ手付きの水差しを作っていたのだが、リーチが直接指導したことにより水差しの形や取っ手部分のデザインがより長いものに変わった。今でも小鹿田では当時と同じデザインの水差しが作られている。

「親から子に秘伝の技術を教えたりもするんですよね」と聞くと、創さんは「いや、全然ないですね」と即座に首を振った。「骨格や腕の長さも違うから、教えられてもあんまり意味がないんで、自分でやってみて覚えるだけです」

 創さん自身は鳥取で学んだ技術も取り入れており、工さんと同じものを作っているわけではない。いくら「伝統」といえども、作り手の個性とともに、ゆっくりと変わり続けている。

 年間何個くらいの陶器を作るんですか、と尋ねると工さんはこう答えた。
「登り窯を使う以上、一度に何百個も失敗することもある。だから、あんまり数を気にするとやっとられんわい、ということで、数えたりしないですね。どちらにせよ、手作りだし、土の量も限られているのでたくさん作れないし」

 小鹿田焼の陶土は、集落の周囲の山から採れたもので、採土作業は9軒の窯元が共同で行う。採れる土の量も割り当てられる土の量も多くない。だから、むしろ限られた量の土を丁寧に使いながら、納得するものを生み出すことが大事であり、量産することは目的ではない。ああ、ずいぶん野暮な質問をしてしまったなと反省した。

 集落には共同の登り窯もあるが、ふたりには自前の登り窯があるので、それぞれのペースを守りながら作る。

「(陶芸は)やればやるほどわからなくなる感じがしてます。若い時はわかったと思っていたことも、年をとったらわからなくなったり、体力的にできなくなったり。だから一生かけて学んでいくものだと感じます」(工さん)

 一生かけて──。こうして小鹿田焼は異なる時間の流れのなかで、300年もの間脈々と受け継がれてきた。

各窯元の軒先で見られる、化粧土塗布前の器を天日干しする風景。山あいは日照時間が短いため、均等に日が当たるようこまめに器を回す

 帰り道、小鹿田の全ての窯元の作品が揃うギャラリー鹿鳴庵ろくめいあんに寄った。光が溢れる空間に皿や湯呑み、水差しが並ぶ。ご主人の佐藤哲也さんは、小鹿田焼の素晴らしさを伝えるために10年前にこのギャラリーを始めたそうで、お客さんをもてなすための小さな喫茶室も併設されている。

鹿田焼全窯元の商品を扱う「鹿鳴庵」/茅葺屋根の古民家を活用した店舗は凛とした佇まい
日田市の「すてーき茶寮 和くら」でハンバーグステーキ(ランチ)を堪能。左のカップは坂本創さんの作

 私は悩んだ末に二つのコーヒーカップを買った。コロンと愛らしい形に飛び鉋の幾何学模様が映える。これからこの器とともに毎朝を迎えるのかと思うと、ちょっと幸せな気分になった。

川内さん購入のコーヒーカップとピッチャー。飛び鉋の模様が印象的

文=川内有緒 写真=荒井孝治

INFORMATION
小鹿田焼陶芸館
☎0973-29-2020
坂本工窯
☎0973-29-2404
鹿鳴庵
☎080-8552-9687
すてーき茶寮 和くら
☎0973-24-2728

川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。

出典:ひととき2023年4月号

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