大仏と石で感じるマニアの世界(茨城県牛久市・大洗町)|ホンタビ! 文=川内有緒
巨大仏を見にいく。それが今回の旅の唯一の目的であり、それ以上でもそれ以下でもない。別に熱い信仰心があるわけでもなく、宮田珠己さんの『晴れた日は巨大仏を見に』の影響だった。
迎えた旅の当日、お天気は見事な快晴。絶好の巨大仏日和である。そして今回の案内人は、なんと宮田珠己さんご本人ときている。この連載2年目にして初の著者登場に「きゃあああ、宮田さああん! ありがとうございます!」と私も歓迎モード全開! なんという贅沢な旅だろうか。
この本で、宮田さんは国内の高さ40メートル以上の巨大仏全てをめぐっているが、中でも大きさナンバーワンを誇るのが牛久大仏で、今日我々もそれを目指す。
「宮田さんにとって巨大仏の魅力ってなんですか」と車中で尋ねると「風景の中にある違和感! だって、おかしいじゃないですか。突然町にウルトラマンが現れたみたいで」と目を輝かせた。なるほどー、違和感ですか!
巨大仏を見る瞬間、ふと不気味な感じがよぎるのは、〝ぬっ〟と何かが異世界から顔をのぞかせているからなのだ。そして、異世界がのぞくまさにその感じが、見る者の好奇心をくすぐるのかもしれない。
ちなみにM78星雲の「光の国」からやってきたウルトラマンの身長は40メートル。対して牛久大仏は3倍の120メートル。バルタン星人も一撃で倒し、地球を救えそうだ。
高速を降りてしばらくすると、遠くにチラチラと何か物体が見え始めた。
「いた! いま頭が見えた!」と宮田さんが叫ぶ。
「どこですか!!」
「右の方! 林の向こう側」
「ちらっと見えたかも!」
そして、幹線道路に入ると、「出たー!!!」と我々の声はシンクロ。
その姿が現れた瞬間、思考が停止した。だってデカいんだもん。のどかな風景の中で、「なぜあなたはここにやって来たんですか!?」とインタビューしたくなった。
牛久大仏は、浄土真宗東本願寺により1993(平成5)年に造立され、広い庭園内に立っている。園内には芝生広場やふれあい動物園、仲見世もあり、さあ、違和感なんか全て忘れてファミリーもカップルも大いに楽しんでいってください! という心遣いが感じられる。
私たちも散歩気分で、ゆっくりと大仏様に近づいた。すると、目の錯覚なのか、もはやさっきより小さく見えるという怪現象が起こった。
「不思議! こうなるとなにか比較する基準が欲しいですね!」と私が言うと、すかさず宮田さんが「自由の女神像は46メートル*です」と答えた。
*台座部を含めると93メートル
「えっ。意外と小さいですね。じゃあ、奈良の大仏は? 修学旅行で見て巨大な印象だったけど」
「小さいですよ。15メートルかな」
さすがだ。大正解!
牛久大仏は、ファンタジックな光の空間があり、写経をしたり、瞑想したりなどの胎内アクティビティーも充実。文字通り懐すらもジャンボサイズである。一方で宮田さんは、「巨大仏は遠くから近づいてきて、最初に見えた瞬間の違和感が一番面白い」という人なので明らかに関心が薄そうだ。ただ「てっぺんってどうなってるのかな! 入ってみたい」と一般公開されてない場所には興味津々。帰りがけには、牛久大仏の造立過程を追ったレアな写真集も購入。なんだかんだ言っても巨大仏マニアである。
巨大仏を見るためだけに日本中へ出かけていくという、そのバカバカしさが晴れがましくて、自分の性に合っていた。(中略)オタク的感性が私のなかにあったのだろう。
堪能した私たちは、河童伝説がある牛久沼に向かうことにした。牛久には「かっぱ祭り」もあり、牛久に来たら牛久沼というのは自然な流れだが、宮田さんは「沼なんか見ても、ああ、沼だね〜くらいしか言えないんじゃないですか⁉ もうこのまま大洗海岸に石を拾いにいきましょう」と言い出した。
へっ? 石? そうだ、宮田さんには『いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫)という著書もある。石拾いが沼以上に面白いかは不明だが、もともと沼への思い入れもない私は「じゃあ、そうしましょう」とあっさり方向転換。北北東に進路を取った。
それにしても、宮田さんは大仏やら石ころやらジェットコースターやら、いつもユニークなものを求めて旅している。世の中には本当に色々なマニアがいるんですね、と世界の広さを感じさせるが、宮田さんは「いや、真のマニアってこんなもんじゃないですよ!」とアツく語り始めた。彼によれば、日本には暗渠マニアや植栽マニア、ホースマニア(蛇口につなげるホース)、ファサードマニア、片手袋マニア(路上に落ちている片方だけの手袋)などもいるという。
「指さした先に必ずマニアはいるんですよ!」という名言も飛び出した頃に、大洗海岸に到着した。
おっ? 海岸には、大小色々な色や形の石がわちゃわちゃ転がっている。宮田さんは身をかがめ、一心に石を吟味し始めた。探すのは「なんかいい感じの石ころ」。とはいえ1時間前まで石を拾おうとは微塵も思っていなかった私にはその「いい感じ」が分からない。とりあえず個性的な色や縞模様の石などを集める。手の中には10個くらいの石がたまった。
さて、日もすっかり傾き、もう帰りましょうという段階で、何気ない石に目がとまった。灰色と白の地味な見た目ながら、ざらざらした感触と大きさが自分の手にしっくりと馴染む。その温もりと安心感に惹かれ、そうだ、大勢の前で話すときなど、これを握っていたら緊張しないかも、と思いついた。
「いい感じの石と出会えました!」と報告すると、宮田さんも嬉しそうだ。
「でしょ! 最初は、みんな、えー、石? 石なんか拾ってどうするんですか、とか冷たく言うんだけど、最後はホクホク顔で帰るんだよねっ」
家に持って帰ると、7歳になる娘が「石のいっちゃん」と名前をつけてくれた。というわけで、いっちゃんは今日も私のデスクの上にちょこんといる。
晴れた日には、巨大仏を見て石ころを拾う、これが新しい旅の提案である。
文=川内有緒 写真=荒井孝治
出典:ひととき2022年12月号
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