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文学に包囲されながら牛肉スープをすする(台南・葉石濤文学記念館、国立台湾文学館)|岩澤侑生子の行き当たりばったり台湾旅(9)

この連載は、一昨年まで現地の大学院に留学されていた俳優の岩澤侑生子ゆきこさんが、帰国前に台湾をぐるりと一周した旅の記録(2022年8月1日~9日)です。今回は、台南にある文学館などを訪ねながら、文学と土地の関係について考えます。行き当たりばったりの台湾旅をぜひ一緒にお楽しみください。

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台湾の大学院に在籍していたとき、よく学部の講義を聴きにいった。学生数の多い総合大学だったので、講義数が多く、あれこれ欲張った結果、気づけば週5日で学校に通っていた。

自分より一回り以上年下の台湾人学生にまぎれて分からない言葉をメモし、黙々と辞書を引いた。ときおり台湾語がまざり、その都度笑いが起きた。台湾に住んでしばらく経つのにこんな簡単な言葉も分からないのか、と絶望することはなく、ただその場にいることに喜びを感じた。教授たちは、いつも一番前の席に座る独りぼっちの外国人の私に、たびたび声をかけてくれた。
台湾文学の講義の初日、学生にある質問が投げかけられた。

「台湾文学の定義は何でしょう?」

次々と手があがった。「台湾の土地について書かれた作品」「台湾に住む人が書いた作品」「台湾に関わった人が書いた作品」「作家自らが台湾文学だと定義した作品」いろいろな意見がでて、議論が盛りあがった。

「今は台湾史や台湾文学という講義が当たり前に存在するけれど、私が学生だった時代には「台湾」が冠についた講義はなかった。だから、これからがとても楽しみ」と、教授はにこりと笑った。

窄門珈琲館で「葉石濤文学記念館」と「国立台湾文学館」を紹介されたので、行ってみる。少し歩くと、台湾で一番古い孔子廟が現れる。ここは孔子を祀る場所でもあり、儒教の学び舎でもあった。門には「全台首学」と書かれた扁額が掲げられている。

1666年に建てられた孔子廟

孔子廟を通り抜けて、台湾文学を知るうえで欠かせない台南生まれの作家、葉石濤の紀念館に辿り着く。建物は、日本統治時代の1925年に建てられた台南山林事務所だった赤煉瓦造りの洋館で、屋根瓦と太い眉毛のような窓枠が特徴的だ。

葉石濤文学記念館
台湾文学界の重要人物、鍾肇政の筆跡。
2人は「南の葉石濤、北の鍾肇政(南葉北鍾)」と称される。

葉石濤は、ここが建造されたのと同じ年の1925年に、台南の大地主の長男として生まれた。日本語教育を受けて育った葉は、16歳のときに初めての小説を日本語で書いた。戦後、国民党政権下では中国語で作品を創作していたが、読書会に参加したという理由で1953年に政治犯として実刑を受けた。

館内には葉石濤ゆかりの品々が置かれ、隣の部屋では大勢の人が熱心に講座を聞いている。窓から見える木々の葉がかすかに揺れる。建物の高さを越えてのびる2本の樹は「夫婦樹」と呼ばれている。苦渋の歳月を共にした葉石濤とその妻の陳月得が、今でもこの文学館を見守り続けているかのようだ。

「無数の長く苦しい夜をともに過ごしてくれたいくつもの『書斎』と『机』をかえって懐かしく思うことがある。あのときの私は、自信と希望に溢れ、努力を続ける確固たる意志があった」

「土地がなくて、どこに文学がある?(沒有土地,哪有文學)」──この言葉は葉石濤の著作のタイトルだ。彼の作品の多くは生まれ育った台南を舞台にしており、郷土を描く文学に情熱を傾けた。日本語と中国語の2つの言語の転換を経て、戒厳令での厳しい弾圧を受けたあとも、台湾文学とはなにかを追求した。台湾文学は日本統治時代には日本文学の一部として、戦後は中国文学の一部と見なされた。台湾の独自性を追い求め、この土地を描き続けた葉石濤は、1987年に『台湾文学史綱』を上梓。彼の声が、文字の隙間から聞こえてくるようだ。

日本語書籍も多数所蔵されている

葉石濤文学紀念館を出て、隣接する国立台湾文学館に向かう。1916年に台南州庁として建設され、2003年に国立台湾文学館としてオープンした。大きな建物をぐるりと回り、入り口に到着する。

国立台湾文学館

中に入るとすぐ、大きなパネルに書かれた言葉に目を奪われた。

「注意,你已被文學包圍」
「警告、あなたはもう文学に包囲されている」
「Warning! You are Surrounded by Literature」

台湾華語、日本語、英語の3つの言語でぐっと掴まれ、もう逃れられない。

書かれている内容の素晴らしさもだが、特に感動したのは翻訳された日本語に不自然さが一切なかったことだ。機械で翻訳されたような言葉が並んでいると、読んでいても、ただ文字の表面をなぞるだけで、書かれている内容を本当に理解できているのか分からなくなる。人間の手によって翻訳された言葉は、文字を紡いだ人の息が身体に入ってくる。呼吸を合わせることで、ここにいない人と繋がる感覚がある。

国立台湾文学館の向かいにある旧台南合同庁舎。
現在は消防資料館になっている。
1932年に建てられた林百貨店は、2014年に林百貨として開業。
今も客足が途絶えない台南の人気スポットだ。
牛肉スープのお店

日が暮れる台南の街の移り変わりを楽しみながら、食を求めて国華街に迷い込む。台南の美食といえば牛肉スープ(牛肉湯)は欠かせない。看板に書かれている「溫體牛肉」は、一度も冷蔵や冷凍していないお肉という意味。新鮮なお肉をいち早く食べるため、早朝から行列ができるお店もある。

牛肉湯(小)110元(当時)
看板犬がお出迎え。
小さなピンクのリボンが可愛らしい。

スープで生肉にさっと熱を通す。臭みはなく、シンプルな味付けのスープにじんわり肉の甘みが染みでる。牛は農耕の働き手だったからという理由や家庭環境の影響で、牛肉を食べない台湾人は多い。17世紀後半の鄭氏政権時代に牛の屠畜が公的に禁止され、日本統治時代を迎えるまでは牛肉食はタブーとされていたようだが、清朝時代の文献には台湾で密かに牛肉が食べられていたという記述もあるようだ。美食の誘惑に抗えないのは昔も今も同じかもしれない。

色とりどりの提灯で飾られた賑やかな通りを歩く。家族やカップル連れが台南の風景に溶け込んで、夜のひとときを楽しんでいる。最近読んだ本のなかに「その土地のことについて書くことと、その土地を所有することは同じことだ」という言葉があった。台湾での個人的な経験を書くことで、台湾が私にとってかけがえのない土地になる。そして、それを読む人と共有することで、ひとりの記録が誰かの記憶になる。それが文学というものなのかもしれない。国立台湾文学館で目にした「書き出せば、文学は始まる」というフレーズと、牛肉スープの甘さが、今も心を捉えて離さない。

<参考資料>
国立台湾文学館
みんなの修学旅行ナビ>国立台湾文学館(旧台南州庁)
みんなの修学旅行ナビ>葉石濤文学紀念館
葉石濤文学紀念館
台湾光華雑誌>文学の足跡を追い 先人の生きざまに学ぶ
上報>台灣人從何時開始吃牛肉?這個習慣可不是外省人帶來的
台湾牛肉食の謎 国立成功大学歴史学研究科 博士課程 黒羽夏彦

>>>次回へ続く

文・写真=岩澤侑生子


岩澤侑生子(いわさわ・ゆきこ)
1986年生まれ。京都出身の俳優。京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)映像舞台芸術学科卒。新国立劇場演劇研修所7期修了生。アジアの歴史と中国語を学ぶため、2018年から台湾に在住。これまでCM、MV等の映像作品の出演や台湾観光局のオンライン講座の司会を務めた。2022年8月に淡江大学外国語文学院日本語文学科修士課程を修了し、日本へ帰国。
HP:https://www.iwasawayukiko.com/
Twitter:https://twitter.com/iwabon

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