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“能”の世界がよくわかるおすすめの2冊|齋藤孝「大人のための読書案内」(5)

弊社では過去の作品の電子書籍化に取り組んでいます。この度、今に通じる普遍的なテーマを掲げる本書「何から読めばいいか」がわかる全方位読書案内を電子書籍化しました。ここでは宣伝も兼ねて、その内容をちょっとずつご紹介していきます。最終回となる5回目は、知れば知るほど奥深い魅力を感じられる「能」の世界について。

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まことの花を咲かせる能

 世阿弥の著書風姿花伝(世阿弥、野上豊一郎・西尾実校訂、岩波文庫)は、世阿弥が一族に伝えた書。世阿弥の言葉は「初心忘るべからず」や「秘すれば花」などが有名ですが、世阿弥が、父の観阿弥から受け継いだこと、この世とあの世をつないでいくような夢幻能を作り、演劇のスタイルを完成させ、能を大成していったことが描かれています。また、秘伝の書として、一族が生き残るための戦略も描かれているのです。

「家の大事、一代一人(いちにん)の相傳(さうでん)なり。たとひ、一子たりと云ふとも、無器量の者には傳(つた)ふべからず。家、家にあらず。次(つ)ぐをもて家とす。」(110ページ)

 これは、家における最も重大なことは、一代にひとりだけ伝え継ぐべきもの。また、それを受け継ぐ能力がある者にこそ伝えるべきである(自分の子どもであるという理由だけで、その子を後継者にしようなどと考えるのは、芸に対する冒涜という意味)。家督が続くのが家ではない。芸の命が続くことこそが家である、という意味です。非常に厳しい内容ですが、真実を突いています。

 私は今、自分のゼミで学生たちと『風姿花伝』を読み、現代に生かそうということを課題にしています。たとえば、この本の中には「上達論」が書かれています。7歳のときには、次のようなことに気をつけるべし、ということが書かれています。

「うちまかせて、心のままにせさすべし。さのみ、よき、あしきとは教ふべからず。」(12ページ)

 これは、心のままに思いきりやらせるのがよい。あまり小うるさく教えるな、と言っています。また、その直後にはこんなことも。

「餘(あま)りにいたく諫(いさ)むれば、童(わらんべ)は氣を失ひて、能ものぐさくなり立ちぬれば、やがて能は止まるなり。」(12ページ)

 これは、うるさく言えば、面倒くさくなって、やる気がなくなる。だから、嫌いにならないようにうまくやりなさいと書いてあるのです。室町時代なのに、子どもをその気にさせる方法は現代と同じです。

 12歳ごろになると、「花」を持つようになってきます。ただそれは「時分の花」であり、誰もがある時期持つもの。やがては消えていくので、「まことの花」を身につけなければならないとあります。

 17~18歳になると、稽古、ひたすらまた稽古、ということをこんなふうに伝えています。

「(中略)一期の堺(さかひ)ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外(ほか)は、稽古あるべからず。」(15ページ)

 その後は、どのような稽古の手順を踏むと一流になれるかが記されています。そして最後は「老木」。

「(中略)老木(おいき)になるまで、花は散らで殘りしなり。」(22ページ)

 つまり、年老いても花があるような人間になるにはどうしたらいいかが書かれています。

 全編通して、世阿弥が語り続けるのは「花がないとつまらない」ということ。そこで私は学生に「今まで受けた授業の中で、花のある授業とはどんなものだった?」と聞いてみました。すると「この先生の授業には花があった」とか、「先生が実演してくれたときは盛り上がった。あれは花だと思う」と感想を話してくれました。古典というのは、このように今の時代にあてはめて考えていくと、読む力がついていきます。

 たとえばスポーツを見ていると、ベテラン選手が年を重ねて体力が落ちてくるのがわかります。そのままダメになる人もいれば、中日の山本昌選手のように、45歳を超えても勝ち星を挙げ続ける人がいる。あれこそプロ野球選手における「まことの花」であり、「老木に花」を咲かせたと言えるでしょう。

自然の花のように

『風姿花伝』と合わせて心より心に伝ふる花(観世寿夫、角川ソフィア文庫)も読んでほしい本です。著者の観世寿夫さんはもう亡くなってしまいましたが、私が尊敬している能の役者で、「世阿弥の再来」と謳われた名人です。ここには能の身体論だけではなく、私たちが何を大事にして生きていけばよいかが描かれています。たとえば「花」について。

「世阿弥の説いている『花』の概念は、観客が反応するもののことである。魅力的だ、と感ずるかどうかは、観客の感覚なのだ。」(17ページ)

「自然の花は、見せるために咲いているのではない。自(おのず)から然るべきところ—空間―に、然るべき時節―時間―に、花開くのである。」(18ページ)

「宇宙的時空の絶対的必然の瞬間に、ふと、咲く、誰かのためにではない、それが『花』だ」(18ページ)

 魅力的かどうかは観客の反応であり、花のあるなしは見た人がそれぞれに感じるもの。また、花は誰かのために咲くのではなく、自然に咲くもの。ふと咲いた瞬間に、人は心を動かされます。そこは非常に絶妙なところ。相手に合わせてサービスしている感じが出ると、それは観客に見透かされてしまう。だから「ふと、生まれ出た感じ」が大切なのです。

 現代の「お笑い」も同じかもしれません。いかにも相手を笑わせようと思っていると、どんどん空気が冷えていってしまう場合があります。ジョークを言えば言うほど周囲が引いてしまう経験をしたことがある人もいるでしょう。そうではなく、ふとしたことで漏れた言葉が本当の笑いを誘うのです。

『心より心に伝ふる花』では、「自然に咲いている花みたいに、舞台に居たい」と観世さんは書いています。「観客一人一人がさまざまなイメージを育くみ持てる、ひともとの花のように。」と(20ページ)。

 教師としては「その花の物語を語っていくような」授業をしたいものだと思います。一人ひとりが、いろいろな花。ふと花が咲くような授業にしたい。会社員なら会議を開いているときにも「今日は花が咲いたね」という時間を過ごせるといい。そのためには、舞台に立っているような、いい緊張感が必要です。

ウェッジ様 齋藤孝 写真 正面 ブルーネクタイ

齋藤孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授。1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション論。『1日1ページ、読むだけで見につく日本の教養365』(文響社)、『友だちって、なんだろう?』(誠文堂新光社)等、著書多数。

――本書では、歴史、思想、日本文化、仕事、科学と大きく5つのパートに分けて、317冊に及ぶ膨大な良書が紹介されています。齋藤孝先生のナビゲートならではの「現実」と「教養」をつなぐ読書体験を、ぜひご堪能ください!

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