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鉄道を拒んだ街、江戸崎の知られざる魅力|柳瀬博一(東京工業大学教授)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第4回は、東京工業大学の教授で2020年のご著書『国道16号線 「日本」を創った道』が大反響を呼んだ柳瀬博一さんです。偶然訪れた街で、偶然出会った人に、ふと湧いた疑問をぶつけてみると……!? 軽妙な語り口で意外な歴史をザクザクと掘り起こす柳瀬さんならではの痛快コラム、ぜひご覧あれ。

江戸えどさき、をご存知だろうか?
おや、知らない。
おっくれてるう。
と言いたいところだが、
私も2022年2月5日午後4時45分まで知らなかった。
江戸崎は、茨城県にある。霞ヶ浦のいちばん南の端。
なんで、突然知ったかというと、行ったからですね、江戸崎に。
偶然。

この日、私は漫画家の日暮ひぐらしえむさんの『ひぐらし日記』のサイン会が、成田イオンモールである、というので足を運んだ。
実は、いま、利根川界隈のフィールドワークをちょこちょこ行っている。利根川こそが関東の地形、自然、文化、政治、経済の「かたち」をつくった川だから。その痕跡を探している。
利根川流域の近現代の日常を見事に描いたのが『ひぐらし日記』で、日暮えむさんは「利根川の先生」でもある。サイン会が終わり、ご飯を食べ、イオンモールの未来堂書店で買い物をし、ここまできたら周辺をフィールドワークしよう、ということで、千葉県佐倉の方に車を進めたら、渋滞で動かない。
郊外あるあるである。
1つの国道に車が集中して、都心以上に身動きがとれなくなる。
そこで、方向を逆に。
利根川をいっそわたっちゃおう。
渡った。
渡ったら、おや、案外、霞ヶ浦が近い。
じゃ、霞ヶ浦まで足を運んでみよう。
運んだ。

もう夕方である。一周したかったけど時間がない。夜には仕事もある。
帰ろう。
カーナビに自宅住所を入れて、そのまま都心に戻ろうとしたら、同行していたかみさんが、
「あのさ、なんかこの先に、街、あるみたい」
「どんな街?」
「江戸崎、だって。さっき看板があった」
カーナビで見たら、進行方向の左手、霞ヶ浦のいちばん端っこのようだ。「寄ってみよう」

途中、街道沿いにはケーズデンキがあり、地元モールがあった。おそらく、この辺りの人たちはこちらで買い物をしているんだろう。
左手に折れると、いきなり細い路地が直角に折れ曲がっている。
「典型的なお城のある街の道筋だよね」「敵の侵攻をふせぐやつだ、佐倉の旧市街でも見た」
角には大きなお寺が見える。
道の向こうには橋。左折すると、古い商店街だ。
精肉店。和菓子屋さん。本屋さん。地元観光施設。
そして銃砲店。霞ヶ浦らしい。鳥を撃つ猟師さんが普通に仕事をしている場所なんだろう。
夕日の照らされた静かな通り。
「・・・いい街だねえ」「・・・いい街だ」
シャッターの締まっている店も多い。
でも、なんというか、佇まいに風情がある。いわゆる死んだ街じゃない。生きている。
こればっかりは、案外写真にも映らない。
歴史とか、風土とか、そんなものをまとっている匂いがする。
商店街はほんの数百メートルで終わりだ。
台地にあがったところで引き返す。
もう一度もどってゆっくり走ってみると、不思議なものをみつけた。
「江戸崎駅」という建物。
駅、といっても鉄道は走ってない。
大きめのバス停である。
でも、堂々と「江戸崎駅」と書いてあり、休憩場まである。
乗務員の休憩スペースがあって、ソファがある。
どうやら江戸崎は「それなりの場所」だったようである。
「あのさ、さっき見かけた本屋さんに文具が売ってたから記念で買ってくる」と言ってかみさんは文具を買いに行った。

その間、街のまわりをちょっと歩く。
本当に小さな街なのに、寿司屋さんが2軒向かい合わせにある。
それとは別に割烹がある。
印刷屋さんがある。
銀行の支店が、常陽銀行とつくば銀行と2つある。
さらにびっくりしたのは、本屋さんがもう1軒ある。
霞ヶ浦の端っこの、一見人気のない商店街に、本屋さんが2軒!
買い物を済ませたかみさんを乗せ、車を出した。
和菓子屋さんの前をとおる。
「ねえ、甘いもの、食べたくない?」
なんとなく、ひっかかって、もう一度Uターンして、和菓子屋さんに寄ってみた。
「東郷菓子舗」
上品なご婦人が切り盛りしている。
大振りのロールケーキに、立派なカステラがある。地元名物のかぼちゃをつかったパイ。まんじゅう。ドーナッツ。どれも洒落ている。桜餅も気になる。
カステラとパイとまんじゅうとドーナッツ。全部買ってしまった。
「あら、ありがとう」とご婦人がにっこり。「どういたしまして」
すると、むかいの本屋さん「こうの書店」から女性がお買い物に。

雑談になる。
「ここ、本屋さん2つもあるんですね」
「昔は、けっこう栄えてたんですよ」
で、話を聞いたらびっくり。女性は、本屋さんのおうちの方。
「こうの書店」の創業は120年前とのこと。
「いまも、学校の教科書を扱ってるから、閉じられないのよ」と笑う。「でもね、うちなんかより、こちらの東郷菓子さんのほうが古いのよ、安政元年創業だから」
「え、そうなんですか!」
「江戸崎は江戸時代よりずっと前から栄えていて、うちもそうだけど、商店の多くは近江商人なんです」と東郷菓子のご婦人。
「昔は、船がメインだったから、ここから江戸もそうだけど、たとえば土浦なんかも船で移動してました。私のおじいちゃんは、土浦の学校に船で通学してたのよ」とこうの書店の女主人。
街の真ん中を通る道は、なんと鎌倉街道だそう。
「佐竹さんがお城に移ってから栄えたみたい」
佐竹さんというのは、芦名盛重*である。
ところが、この芦名さん、10数年で家康の命で城をうつる。
秋田の角館かくのだてへ。

*芦名盛重:天正3(1575)年、佐竹義重の次男として生まれる。1590年に豊臣秀吉から常陸・江戸崎に4万5千石を与えられたが、関ヶ原の戦いに不参加の為、徳川家康により所領を没収された。

「そうそう。だから一度娘を連れて、角館へ遊びにいったことあるの。そしたら、江戸崎ゆかりのお店があって感激しちゃった。殿様、江戸崎から綺麗どころをみんな連れてっちゃった、っていう言い伝えもあるのよ。だからあたしたちは、連れてってもらえなかった末裔」
と笑う本屋さんの女主人もとても素敵で、お話しっぷりが洗練されている。美しい言葉遣い。聞けば姉妹はみなさん東京の大学にいらしていたとのこと。
「昔は、本もけっこう売れてたのね。そうそう百科事典!平凡社さんのたくさん売ったわ。あとはブリタニカね。あれは子供向けでした。中央公論の文学全集も人気でしたね。うちの2階はヤマハ音楽教室なんだけど、昭和33年からやってて、ヤマハの音楽教室でもいちばん古いお店のひとつみたい」

なぜあそこに「駅」が?

「もともと今の常磐線、この江戸崎をとおるルートが第一候補だったの。でも商店街が反対して、けっきょく牛久のルートになったってわけ。あの駅は国鉄がつくったの。だからその名残りね」
なるほど、地方の名門街道街あるある、である。もし、江戸崎に常磐線が通っていたら、まったく異なる街になっていただろう。

いやあ、面白かった。街の歴史を知り、いまもお店を切り盛りされている二人の女性との会話で、すっかり江戸崎ファンになってしまった。
そのうえ、霞ヶ浦の風景がダイナミックで美しい。
あとで調べたら、家康が江戸をつくったときのブレーンにして天下の怪人、あの天海和尚も関わりのある街だったらしい。江戸の街ができる直前、家康・秀吉の小田原攻めの頃、国道16号線沿いの川越の無量寿寺北院の住職をやりつつ、なんとこの江戸崎の江戸崎不動院の住職も兼ねていたというのだ。
江戸の街をつくるときに、この江戸崎の街の構造を参考にした、という言い伝えもある、という。

というわけで、また行ってきます。江戸崎。
元編集者としては、本屋さんが二軒もある街、おいしいお菓子屋さんのある街、ぜひ応援したい。
鉄道を嫌ったがゆえに、取り残されたかつての街道のまち、江戸崎。さらに、もとはといえば、海道の街。
でも、鉄道が通らなかったからこそ、「すばらしい景色」が残っている。
この江戸崎、案外東京から近い。自動車を使えば、常磐道から圏央道を抜け、稲敷インターを降りると5分。都心から1時間ちょっとでついてしまう。さらに圏央道を使うと、なんと成田空港まで30分弱!

リモート時代、東京近郊の暮らしやすい街が「かけがえのない景色のある、ほんとうに住みたい街」として再注目されている。
おそらく、まだ、あまり注目されていない素敵タウン。この江戸崎にメタバース時代、可能性、あるんじゃないだろうか?

文・写真=柳瀬博一

柳瀬博一さんのご著書

国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)

柳瀬博一(やなせ・ひろいち)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て単行本の編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネスオンライン」立ち上げに参画、のちに同企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI、渋谷のラジオでパーソナリティとしても活動。2018年3月、日経BP社を退社、同4月より現職に。著書に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著、晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著、ちくまプリマー新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著、日経BP社)、『国道16号線「日本」を創った道』(新潮社)。

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