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日々が旅と気づくために 澤田瞳子(作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2022年5月号「そして旅へ」より)

 人の誘いにはまず乗っかる興味本位な性格なので、意外な地への旅行によく誘われる。自分では想定しない場所に出かけられるのはありがたいのでほいほい出かけていたある日、母校の大学教授たちと中国・西安に行くこととなった。

 ただ自分がその旅行に参加した経緯は、見事に記憶がない。恐らく教授から「西安の提携大学に行く予定があるんだけど」と声をかけられ、凄まじく適当に「楽しそうですね」と答えた末だろう。とにかく気がつくと私は旅行会社主催の説明会に参加し、人生初のパスポートを申請していた。

 そんな状態で始まった旅だったため、現地に向かう飛行機に乗り込んでも何一つ予習をしていない。西安に五日、洛陽に四日滞在するとは聞いていたが、その間の訪問先もよく分かっておらず、すべて成り行き任せだった。

 とはいえ根が気楽なせいで、目に映る全てが興味深い。空港からホテルに向かうマイクロバスの窓に張り付いて、信号のない道路を渡る方法、財布を持たずポケットから現金を出す現地の人々のやり方を目で学んだ。昼間は教授や大学院生たちと陵墓や史跡を走り回り、やがてホテルの朝食を断って、単身、街を出歩くようになった。西安っ子ですと言わんばかりの顔で人の多い方角へ歩けば、辻に屋台が立ち並んでいる。ぶっきらぼうを装った片言と共に料理を指差し、予想より少し多めのお金を渡して釣りを受け取る。完璧だ。

 数日後、西安から300キロ余り離れた洛陽に移動すべく再びバスに乗り込めば、高速道路は地平線まで続きそうな直線で、その癖、他の車は一台もいない。古代史の世界では、遣唐使について、「旧都・洛陽に入って衣服を整えた後、首都・長安(現・西安)に向かった」と説明される例が多い。だが高速道路を使っても約五時間、徒歩なら十日近くかかる距離。衣服を整えても、移動中に再び旅塵まみれになるよなあと考えていると、バスが突然減速して路肩に止まった。パンクだ。日本では高速道路上の停車は危険と紙一重だが、幸い路上には我々の車だけ。ならば腰を据えて修理か、と思っていたら、運転手さんが高速道路の切れ目から外に出て行った。交換タイヤを積んでいないため、近くの村まで探しに行くという。

 やがて一人の男性がタイヤを抱えて、運転手さんとやって来た。幾ばくかのお金を払って譲り受けたタイヤに交換している間、私は運転手さんに倣って高速の外に出た。数百メートル先に家が数軒建つものの、人の姿は皆無。はるか彼方に山が屏風の如く連なり、寺らしき建物が見える。ただただ広く、地名すら分からない。

 誰が通り過ぎようとも、土地は変わらずそこに在り続ける。ならばここにおいて自分はただの異物だ。――いや、それはきっと旅先だけではなく、普段暮らす場所でも同じなのだろう。もしかしたら己が日々、旅をしていると気づくために、私は見知らぬ地に出たがるのかもしれないと気づいたとき、「修理終わりましたって。出発ですよお」という同行の院生の声が、はるばると広いづらに響いた。

文=澤田瞳子 イラストレーション=林田秀一

澤田瞳子(さわだ とうこ)
作家。1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。2010年『孤鷹の天』でデビュー。21年『星落ちて、なお』(文藝春秋)で直木賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。近著に『輝山』(徳間書店)『漆花ひとつ』(講談社)など。

出典:ひととき2022年5月号

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