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とにかく試行錯誤の時代でした(漫才コンビ・ナイツ)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年5月号より)

土屋:僕は大学2年のとき、1学年上の塙(はなわ)さんが落研(おちけん・落語研究会)でやるコントや漫才を客として見てました。塙さんの第一印象は「手が長くて変な動きをする人」でした。

:そのあと土屋くんが落研に入って、今の事務所に。でも、プロになってすぐのライブでは、まったくウケなかった。

土屋:大学時代は、僕みたいな客が塙さんを甘やかしてたんですよ(笑)。

:24歳のときに事務所の社長に「ナイツは漫才協会に入れ」と言われたときは、嫌でしたね。協会に入ると、弟子入りして毎日寄席に出る生活になる。テレビに出ないと宣言するみたいな意味があったから。

土屋:でもこれが大きな転機でしたよね。

:舞台では、ちゃんとネタを作らないとお客さんは笑わないし、ホームグラウンドの浅草は年配の人も多いから、わかりやすい形を作らなきゃと試行錯誤しました。だんだん自分の語り口がわかってきて、間違えて語り続けるヤホー漫才のネタができたんですよ。

土屋:若い人に受けようと頭をぶったりする強い突っ込みもしたけど、しっくりこなかった。先輩にネタ見せして、わかりやすい突っ込みを手取り足取り教わりました。

:ネタ見せって、内容よりも、お客さんにこう向いてとか、その言い方だと伝わらないよとか、料理でいえば、包丁の握り方、魚のさばき方を教わる感じなんですよ。

土屋:ベテランの師匠の呼吸がわかって、自分たちにも形ができると、手ごたえが違った。舞台に立つのが楽しくなりました。

:後輩が冠番組を持ったりすると、焦りましたけどね。でも、僕らは視覚的に強いコンビじゃないし、ラジオの仕事を今、たくさんできるのは、伝え方を学んだこの時期のおかげです。

土屋:目標だったM−1の決勝に出て、バイト生活をやめられたのは30歳過ぎてから。

:僕は明け方までコールセンターのバイトして、その後寄席に出てました。もし、20代の自分に声をかけるなら、寝ないでカップラーメンばっかりだと、40代で生え際を気にすることになるぞって言いたい。

土屋:僕も当時は辛いラーメンに凝っちゃって。健康に気をつけろと言います(笑)。

談=ナイツ 構成=ペリー荻野

ナイツ

結成当時のナイツ
ナイツ
2000年、創価大学落語研究会で出会った塙宣之(写真左)と土屋伸之(ともに1978年生まれ、千葉県出身)が漫才コンビ「ナイツ」を結成。内海桂子の弟子として活動を開始し、03年、漫才協団(現・漫才協会)・漫才新人大賞を受賞。NHK新人演芸大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞など受賞多数。

出典:ひととき2021年5月号


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