土井善晴先生が解き明かす「静岡おでん」の美味しさの秘密
東海道新幹線に乗れば、私は富士山側にいつも座りたい。富士山が見えたらうれしくなって、いつも写真を撮る。ツイッターでツイートすると「いいね」してくれる人の多さにびっくりします。みんな富士山が大好きなんですね。静岡には、私の最寄り駅・新横浜から約40分。新幹線に乗っている自由な時間は私の楽しみなのに、ちょっと早すぎます。
いざ、静岡おでん探検!
おでんが有名だと聞いて静岡にきました。でも、おでん……、どんな風に面白いのか、まだ分かりません。静岡駅近くの駿府城公園に行って、徳川家康像を見上げました。家康が毎朝富士山を眺めた天守閣があった公園を見渡せば、さっそく、「静岡おでん」と記した幟を発見。ちょうど、白い割烹着を着た女性が、公園の売店らしからぬ「おでん」と染め抜いた立派な藍の暖簾をかけるところ。ご機嫌な笑顔で迎えてくれます。
壁には「静岡おでん5か条」。①黒はんぺんが入っている ②黒いスープ ③串に刺してある ④青海苔、ダシ粉をかける ⑤駄菓子屋にもある、とあります。軽やかな朝の匂いがする澄んだだし汁に安心して、ご挨拶がわりに1本いただく。意外に信太巻の練り物がおいしい。さて、これから「駄菓子屋系」と「居酒屋系」の2軒をめぐります。
駿府城公園を抜けて馬場町。その一方通行の浅間通りは気持ちのいい広々とした商店街。静岡産の小芋が並ぶ八百屋さん、天然酵母のいい匂いのするパン屋さんを眺め、後で寄ろうと決めて、駄菓子屋系の「静岡おでん おがわ」に到着。
店にも入らず、店前に腰掛けられている感じのいいご婦人に話しかけて聞き込み。おふたりとも地元の方で、よく買いに来られるという。富士山とおなじく「おでん」は当たり前にあるもので、子供の頃から親しんできたと仰る。朝、窓を開ければ富士山がある暮らしは何ともうらやましい。人が寄ると家から大皿を持ってきて、串をいっぱい並べてもらって持ち帰ったのだそうです。学校帰りの買い食いは秘密の楽しみなのに、静岡では「おやつだから」って、公に普通のことらしい。
黒はんぺん、しらやき(タラの練り物)、大根の3本。静岡おでんにだし汁はつかない代わりにダシ粉と青海苔をかけていただきます。ダシ粉とは焼津の鰹節を削った粉。ちなみに少々味の濃いごぼうのきんぴらや、イワシの辛煮も粉ガツオをまぶすのは、品をよくするテクニック。
肝心のだし汁は、明日のおでんを煮る貴重な煮汁です。昭和23年(1948)から、毎日火入れをして、70年以上、新しい煮汁を注ぎ足してきたといいます。「休みの日にも、火入れだけは怠らない」とお母さん。おでんのだし汁が何より、きれいに澄んでいることが重要です。牛すじ(国産牛)のスープがベースというのに、脂はぜんぜん浮いていません。「火入れ」とは殺菌、煮汁だけを、煮立てて、ていねいにアクを取り、布濾しすること。
それにしても、おでんの煮汁はコンソメスープのように、よく澄んでいます。洋食屋さんのように卵の殻とか卵白を入れるのかもしれません。油脂は強く煮立てると乳化して白く濁り、酸化しやすく傷みが早い。「澄む」ことは日本人の美意識と重なる安心の保証です。お見事ですね。これなら、子供が食べてもお母さんも心配ありません。
ベースになるおでんのだし汁は、牛すじの煮汁に醤油だけの味付け、あざとい味作りはせず、余計なものは何も加えない。それでも、黒はんぺんなどの具材から、旨味がたっぷり出るのです。
そもそも「黒はんぺん」は「はんぺん」でよかったのに、高級白はんぺんがメジャーになって、「はんぺん」が白いものとなってから、仕方なく黒はんぺんと呼ぶようになったのだと思います。椎茸といえば干し椎茸のことだったのが、生の椎茸が出回るようになって干椎茸というようになったのです。そういう例は他にもあります。
欠かせないのは、黒はんぺん
『かまぼこの歴史』(清水亘著)によると、はんぺんは、駿府の膳夫(調理人)半平が作ったとあります。焼津にある「丸又」は、黒はんぺんが人気の水産加工会社。ここの大ご主人によれば、茶碗の糸じりにヘラですり身を塗りつけて、湯に落とすと、半月型になるところから、焼津では「はんべ(半分)」、静岡では「はんぺん(2分の1片)」だそうです。
それにしても丸又の加工場は掃除がゆきとどき清潔。臭いのつよいイワシの生魚を、骨ごとミンチして、電動のすり鉢であたり、骨が感じなくなるまで滑らかにすっているのに、魚の臭いが一切ありません。
すり身は黒はんぺん製造用に工夫された機械を通して、どんどん湯に落とされます。一度に180キロのイワシをすると摩擦で温度が上がって鮮度が落ちるので、大量の氷を加えます。その氷がきれいに澄んでいるのは水のよさを証明しています。丸又の加工場の裏側に自慢の活水器があるそうです。
魚が獲れた焼津の漁場、駿河湾は、最深部2500メートルという日本一深い湾。静岡の人は、富士山と駿河湾、2つの日本一の間に暮らしているのです。取材中、できたての黒はんぺんを生姜醤油で、ひとり3枚平らげていました。
屋台発祥・居酒屋系の名店へ
静岡市内に戻り、かつて(昭和30年代頃)ずらりと屋台が並んでいた、現在の青葉シンボルロード近くの青葉横丁「三河屋」へ。二代目ご主人は奥さんの実家が駄菓子屋で、おでんも置いていたことから店を始められました。三河屋の創業は約70年前、最初は屋台でした。
静岡おでんは、戦後の全てを失ったところから始まったのです。お腹を空かせた大勢の子供たちに何か食べさせたかった。子供が1本でも食べやすいように串を打った。子供が食べるのだから、安心第一の添加物なしのおやつ。
静岡でお会いした人々は、みんな気持ちのよい人ばかりでした。子供のため、ごまかしなし、きれいな仕事をする風土が静岡にはあるように思います。人情味溢れる清水次郎長が生まれ育った土地は、いつも富士山に見守られているのです。
土井善晴=文 岡本 寿=写真
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出典:ひととき2019年12月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。
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