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唐招提寺の鑑真和上像に込められた弟子たちの想い──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

2014年まで奈良国立博物館で学芸部長をつとめ、正倉院展など100以上の展覧会を運営してきた西山厚さん。その西山さんが、奈良の文化財や史跡、伝統行事などを手がかりに、仏教が根付いた奈良の真髄をやさしく解説した新刊『語りだす奈良 1300年のたからもの』(2024年5月21日発売、ウェッジ)よりお届けします。

唐招提寺の忍基にんきは、講堂のはりが折れる夢を見た。

眼が覚めた忍基は、これは鑑真がんじん和上わじょうが亡くなる知らせに違いないと考えた。

いやだ。師がいない世界で生きるのは耐えがたい。鑑真和上は、ほかのどこにもいない、最高の師だった。

弟子たちは、師が生きておられるうちに、肖像を造ることにした。師の姿をこの世に留めるために。

まず、土で師の姿を造る。その上に麻布を漆で何枚も貼り重ねていく。一番上には、師の衣をいただいて着せた。それが終わると、背中に窓を開け、中の土を取り出す。

麻布の上には木屑こくそうるしを塗って造形していく。木屑漆とは漆に木のくずを混ぜたもので、バターをトーストにバターナイフで塗るように、通常はへらを使って塗っていくものだが、それでは師との間に距離ができてしまう。木屑漆を指ですくい取り、指で塗る。まもなくこの世を去っていく師のお顔の細部を自分の指先で造り出す。

へらで塗れば平滑にきれいに仕上げられるが、指ではそうはいかない。どうしても凹凸ができてしまう。しかし、自分の指で塗ることで、師とひとつになれる。

木屑漆が乾くと彩色さいしきする。袈裟けさを着ている師のお姿。着ふるして糸がほつれているのをその通り描いていく。眼は閉じている。まつ毛が下瞼したまぶたに貼りついている。

師の眼が不自由になったのはつい最近のことだった。

のちに、孫弟子の豊安ぶあんが、亡くなる直前に眼が不自由になったと書き残している。

眼は閉じているが、どこか遠くの何かを、やさしく見ているような、そんな表情をいつもしておられる。その通りに造ることができた。うれしい。そして悲しい。

900年後、松尾芭蕉は、この肖像を見て句を詠んだ。

 若葉して御目おんめしずくぬぐはばや

御目の雫とは、涙のこと。芭蕉には、鑑真和上が泣いているように見えた。柔らかい若葉で涙をぬぐってさしあげたい。

鑑真和上は泣いているのだろうか。もしも本当に泣いているのなら、何がそんなに悲しいのか。たぶん、弟子が36人も死んでしまったからだろう。

弟子たちは、全員が、日本へは行きたくないと言った。日本は遠い。百度行こうとしても着くことはない。

鑑真和上は言った。「では私が行こう」

苦難の日々はこうして始まり、師と同行することを望んだ36人の弟子が、日本に着くことなく死んだ。

死んだ弟子を思い、思わず涙ぐむ。そんなことがあっても決して不思議ではない。

天平宝字7年(763)5月6日、鑑真和上は亡くなった。日本に来て10年。76歳だった。「願はくはして死なん」と言っておられた通り、西に向かってすわり、坐ったまま亡くなった。

亡くなって3日が過ぎても頭の頂が温かかった。

鑑真和上が亡くなった住房は講堂の西北にあり、肖像は鑑真和上がますが如くに、その住房に安置された。

境内の東北にお墓がある。「鑑真大和上御廟ごびょう」と書かれた木札が懸る小さな門をくぐると、お墓へ至る小径の左右は美しい苔で覆われている。

静謐せいひつな世界に入り込むと、言葉を出すことさえためらわれる。

小径の突き当りに墳丘があり、これが鑑真和上のお墓と伝えられている。墳丘の上には、のちの時代の宝篋ほうきょう印塔いんとうが建っている。

墳丘の前には瓊花けいかの木が植えられている。鑑真和上の故郷、揚州ようしゅうにしか咲かないといわれる瓊花。揚州市から贈られた瓊花が、唐招提寺を気に入ったのか、特に御影堂みえいどうの西側では大きく成長して、五月初めの連休のころに、ガクアジサイに似た白くて美しい花を咲かせる。

(2022年2月23日)

文=西山厚

奈良で暮らし、奈良を愛してきた著者ならではの “奈良学” が満載の本書『語りだす奈良 1300年のたからもの』(西山 厚 著、ウェッジ刊)は、全国の書店およびネット書店にてお求めいただけます。

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西山厚(にしやま・あつし)
奈良国立博物館名誉館員、東アジア仏教文化研究所代表、帝塚山大学客員教授、半蔵門ミュージアム名誉館長。徳島県生まれ。京都大学大学院博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。奈良と仏教をテーマに、生きた言葉で語り、書く活動を続けている。主な編著書に『仏教発見!』(講談社新書)、『仏像に会う 53の仏像の写真と物語』、本書シリーズ『語りだす奈良 118の物語』、『語りだす奈良 ふたたび』(いずれもウェッジ)など

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