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哲学者・九鬼周造と円山公園の枝垂桜|偉人たちの見た京都

偉人たちが綴った随筆、紀行を通してかつての京都に思いを馳せ、その魅力をお伝えする連載「偉人たちの見た京都」。第9回は、日本人的な美意識を追究した名著『「いき」の構造』で知られる哲学者・九鬼くき周造しゅうぞうの「祇園の枝垂れ桜」です。東京の名家に生まれ、ヨーロッパに長く留学したのちに帰国し、京都大学で教鞭をとった九鬼。彼が魅せられた、祇園の枝垂桜とはーー。

 京都の春を彩る桜。人里離れた深山にひっそり咲く桜も味わいがありますが、町中の街路や公園、神社仏閣に咲く桜を愛でながら、気の向くままに歩くことほど心が浮き立つことはありません。考えただけでも楽しくなってきます。京都の春はそれにふさわしい場所と言えそうです。

 日本的美意識の謎を追究した哲学者の九鬼周造(1888~1941)も京都の桜を愛した人物でした。九鬼は明治を代表する文部官僚・九鬼隆一りゅういちの四男として東京に生まれましたが、出生前に父母が別居。縁あって、岡倉天心*を父と仰いで育ちます。東京帝国大学で哲学を学び(同期に和辻わつじ哲郎がいました)、大学院に進んだ後にヨーロッパに留学します。

岡倉天心*  明治時代の美術界指導者。周造の父・隆一のもと、文明開化の時代における美術復興のために尽力し、東京美術学校の初代校長を務めた。

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九鬼周造 甲南大学図書館所蔵 九鬼周造文庫

 長期の欧州留学から帰国後、九鬼は京都帝国大学で職を得ます。41歳から53歳で亡くなるまで京都で哲学を教えていた九鬼は、1936(昭和11)年に「祇園の枝垂桜」という随筆を発表します。そこでは京都の桜を最大限の表現でこう称えているのです。

私は樹木が好きであるから旅に出たときはその土地土地の名木は見落さないようにしている。日本ではもとより、西洋にいた頃もそうであった。しかしいまだかつて京都祇園の名桜「枝垂桜」にも増して美しいものを見た覚えはない。数年来は春になれば必ず見ているが、見れば見るほど限りもなく美しい。

位置や背景も深くあずかっている。蒼く霞んだ春の空と緑のしたたるような東山とを背負って名桜は小高いところに静かに落ちついて壮麗な姿を見せている。

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円山公園・満開の枝垂桜

 九鬼がここで称えている祇園の名桜「枝垂桜」とは、八坂神社の東、円山公園にあった通称「祇園の夜桜」と呼ばれた桜のこと。円山公園のシンボル的な存在で、明治時代から多くの人に愛されていました。正式名は「一重ひとえ白彼岸しろひがん枝垂桜しだれざくら」です。開花時の昼間の美しさは格別ですが、この桜の美の真骨頂は夜にありました。

夜にはさらに美しい。空は紺碧に深まり、山は紫緑に黒ずんでいる。枝垂桜は夢のように浮かびでて現代的の照明を妖艶な全身に浴びている。美の神をまのあたり見るとでもいいたい。私は桜の周囲を歩いては佇む。あっちから見たりこっちから見たり、眼を離すのがただ惜しくてならない。ローマやナポリでアフロディテの大理石像の観照かんしょうにふけった時とまるで同じような気持である。炎々と燃えているかがり火も美の神を祭っているとしか思えない。

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ライトアップされた円山公園の枝垂桜

 まさに激賞としか言えないような表現です。34歳から41歳まで、ドイツやフランスで8年間にわたり哲学を学び、広く西洋美術の見聞を重ねてきた九鬼だからこそ、この京都の桜の美しさを心の底から体感できたのでしょう。彼の感動が伝わってきます。

あたりの料亭や茶店を醜悪と見る人があるかも知れないが、私はそうは感じない。この美の神のまわりのものは私にはすべてが美で、すべてが善である。酔漢が一升徳利を抱えて暴れているのもいい。群集からこぼれ出て路端に傍若無人に立小便をしている男も見逃してやりたい。どんな狂態を演じても、どんな無軌道に振舞っても、この桜の前ならばあながち悪くはない。

 夜桜を前にして人々が浮かれ騒ぐ姿は昔も今も変わっていないようです。桜には人の狂態を引き出す魔力があるのでしょうか。ヨーロッパ経験の長かった九鬼ですが、枝垂桜の前で羽目をはずす花見客たちに温かい目を注いでいます。

 九鬼がこれを書いたのは昭和11年。彼は何回も円山公園に足を運んでいました。この年の2月に二・二六事件が勃発。翌年には日中戦争が始まるなど、しだいに戦争の足音が近づいてきていましたが、庶民の生活にはまだ平穏なものがあったようです。その時代の空気を九鬼はこのように記しています。

今年は三日ばかり続けて散歩がてらに行ってみたが、いつもまだ早過ぎた。三日目には二、三分通りは花が開いていた。その後は雨に振り込められたり世事せじに忙殺されたりして桜のことを忘れていた。思い出して行った午後にはもう青葉まじりになってチラリチラリと散っていた。七、八分という見頃から満開にかけてはとうとう見損ってしまった。

さらに数日後に、花がないのは覚悟でもう一度行ってみた。夜の八時頃であったろう。枝垂桜の前の広場のやぐらからレコードが鳴り響いて、下には二十人ばかり円を描いて踊っている。四十を越えた禿げ頭の男からおかっぱの女の子までまじっている。中折帽なかおれぼうも踊っていれば鳥打帽とりうちぼうも踊っている。着流しもいれば背広服もいる。よごれた作業服をまとったまま手拍子とって跳ねている若者もある。

下駄、草履、靴、素足、紺足袋、白足袋が音頭に合せて足拍子を揃えている。お下げ髪もあれば束髪そくはつ*もある。私が振返ってすっかり青葉になってしまった桜を眺めている間に、羽織姿の桃割ももわれ*と赤前垂あかまえだれ丸髷まるまげ*とが交って踊り出した。見物人の間に立って私はしばらく見ていた。傍の男がこのくらいすくない方がかえっていいとつぶやいていたから、花盛りにはよほど大ぜい踊っていたものらしい。

*明治時代の髪形の一種[束髪]西洋風に髪を束ねて結う髪形[桃割]少女向けの髪形。現在では七五三や成人式で結われる[丸髷]江戸時代の既婚女性の一般的な髪形

 円山公園の園内中央には今も見事な枝垂桜が存在します。ですが、実は現在の桜は2代目なのです。九鬼が眺め、人々がその前で踊り、天然記念物にも指定されていた初代の枝垂桜は、惜しくも1947年に枯れてしまいました。

 もともと円山公園の一帯には桜が多く、江戸時代から桜の名所として知られていました。現在の公園のあたりは、八坂神社の前身にあたる祇園感神院かんしんいん(祇園社)の土地で、枝垂桜はその社家である宝寿院の庭にあったものです。1873(明治6)年に伐採されそうになっているところを篤志家とくしかが買い取り、京都府に寄付したことで残ったと伝えられています。

 春の夜に桜の前で踊る人々を見て、九鬼はこんなことを考えます。

知恩院ちおんいんの前の暗い夜道をひとり帰りながら色々なことを考えた。ああして月給取も店員も運転手も職工も小僧も女事務員も町娘も女給も仲居もガソリンガールも一緒になって踊っているのは何と美しく善いことだろう。春の夜だ。男女が入り乱れて踊るにふさわしい。これほど自然なことは滅多にあるまい。異性が相共に遊ぶ娯楽が日本にはあまりになさ過ぎる。

人間は年が年じゅう、朝から晩まで、しかめつらして働いてばかりいられるものではない。たまにはほがらかに遊ばなければ仕事の能率も上りようがない。識者は思想問題や社会問題のよってくるところを深く洞察すべきである。ああして一銭も要らずに誰でもが飛び入りで踊って遊べるというのは何といいことであろう。こういう機会は大衆のためにしばしばつくってやらなければいけない。生きるためにはみんな苦労がある。ああして踊っている間はどんな苦労も忘れているだろう。

おつな桜の アラ ナントネ
粋をきかした 縁むすび
スッチョイコラ スッチョイコラ

私の耳の奧にはまだ歌が響いていた。何のせいか渾身こんしんに喜びがあふれてくる。私はどこの誰とも知らない彼らみんなの幸福を心のしん底から祈らずにはいられない気持になった。接木つぎきをしたとかいう老桜よ、若返ってくれ。いつまでも美と愛とを標榜して人間の人間性の守護神でいてくれ。

 時代背景もあったのでしょうか、最後の九鬼の言葉はまさに魂からの叫びのように思えます。

 しかし残念ながら、九鬼の願いもむなしく初代の桜はしだいに樹勢じゅせいが衰え、その約10年後の昭和22年にはついに枯れてしまいました。現在の枝垂桜は昭和の初めに初代から種子を採取、畑で育成していたものを初代の枯死の2年後に移植したものです。すでに樹齢90年ほどに成長。樹高12m、幹回り2.8m、枝張りも10mと、京都を代表する桜の大木となりました。

 歴史を超え、時代を超え、祇園の枝垂桜は今も多くの人々を引きつけます。九鬼ならずとも満開の美しい桜を眺めていれば、皆の幸福を祈らずにはいられなくなるでしょう。

出典:九鬼周造『をりにふれて(遠里丹婦麗天)』「祇園の枝垂桜」

文:藤岡比左志

円山公園 シダレザクラのライトアップ
日時:令和4年4月10日(日)まで 日没~午後10時
場 所:円山公園(東山区円山町他)  
https://kyoto-maruyama-park.jp/

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。

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