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捨て城であるなら拾ってしまおう|『超約版 家康名語録』より(3)

この連載では、徳川家康の名言を厳選し、平易な現代語で解説した新刊超約版 家康名語録の内容を抜粋、現代を生きる私たちにも役立つ家康の考え方をご紹介します。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第2話(1/15放送)では、今川勢が城を捨てて逃げたのを機に岡崎城に入るべきと主張する家臣団と、駿府に帰りたい一心の家康との対立が描かれました。最終的には岡崎城に入ることを決心した家康ですが、江戸時代初期に旗本の大久保忠教ただたかが著した『三河物語』にはすこし違った家康の様子が記されています。

『超約版 家康名語録』(榎本秋 編訳/ウェッジ)

捨て城であるなら
拾ってしまおう

『三河物語』

大高城を引き払った元康らは、松平氏の菩提寺である大樹寺に入った。本来の本拠地である岡崎城はすぐ目の前だったが、元康は戻ろうとしなかった。岡崎城には今川方の武将が入っていたからだ。

じっと時機を待つ元康の前で、今川方の武将は岡崎城から立ち去っていった。これを見た元康は「捨て城であるなら拾ってしまおう」と言い放ち、岡崎城へ入る。奪い取ったのではない、捨てられたものを拾っただけだ。だから今川方に対して反旗を翻したわけではないのだ、と理論武装を重ねた上で、父祖の城を取り戻したわけだ。

岡崎城(写真提供:岡崎市)

このことからも分かるように、元康と松平氏は義元の死と共に今川氏を見限って独立大名化したわけではなかったのである。なるほど、今川氏を駿遠三にまたがる大大名へ成長させた義元は討死した。しかし、義元にはちゃんと氏真という後継がいて、代々今川氏に仕えてきた家臣団もそっくり残っている。距離を取るにせよ、積極的に反抗するにせよ、最低限の大義名分を立てておかなければ、勢力を盛り返してきた時に大変なことになってしまう。

だから元康は岡崎城が「捨て城」になって初めて動いたのだ。その後、元康は織田氏を後ろ盾にして公然と今川氏に逆らい、三河を支配すべく戦い始めることになる。

文=榎本 秋

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榎本 秋(えのもと・あき)
1977年東京生まれ。文芸評論家。歴史解説書や新書、評論や解説などを数多く手がける。代表作は『世界を見た幕臣たち』(洋泉社)、『殿様の左遷・栄転物語』(朝日新書)、『歴代征夷大将軍総覧』『外様大名40家』『戦国軍師入門』『戦国坊主列伝』(幻冬舎新書)、『将軍の日本史』(MdN新書)、『執権義時に消された13人』(小社刊)など。福原俊彦名義で時代小説も執筆している。

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