見出し画像

生きてるだけで、愛。

「普通の人には当たり前に出来る事が私には出来ない。しんどい。不器用なんて言葉じゃ片付けきれない。みんなは普通に流してるかもしれない言葉や物事がどうにもいちいち気にかかる。流せない。だから疲れる。どうして私は生きてるだけでこんなに疲れるんだろう。寝ても寝ても眠いのは生きることに疲れてるからだ。おにいちゃん(元夫の事だ)は私なんかさっさと置いて楽になればいい。私は私を置き去りにはできない。私は私とお別れは出来ない。つらい。つらい。つらい。」

これは、過去20代の頃にノートに残した殴り書きだ。

映画を観た人はわかるかもしれないが全く同じような台詞が劇中にある。

観た時、涙が止まらなかった。つらかった。

一対一で向き合うとどうにもこうにも絶対的に相手が不幸になる。幸せにできない。疲れさせる。わかっていてもどうにも出来ない。

とてもとても好きな作品だ。

ヴァージニア・ウルフの遺書や、ダロウェイ夫人について描かれた映画、めぐりあう時間たちがとても好きな理由ときっと同じ類で。

この映画を作ったひと、この話を書いたひとがいる事が当時救いだった。この作品に共感するひとがいる事が、公になることが救いだった。劇中みんなどこか滑稽なのが救いだった。

今までこの手の役は蒼井優がやりがちだったけど、彼女じゃ恐らく綺麗すぎる。趣里のちょこんと佇む姿がとても愛らしかった。

以下、とても好きだった台詞を残したい。

「私、楽されるとイラつくんだよ。私がこんなにあんたに感情ぶつけてんのに楽されると。あんたの選んでる言葉って結局あんたの気持ちじゃなくて私を納得させるための言葉でしょ。」
「私を怒らせない一番の方法はね、とりあえずうなずいてやり過ごすんじゃなくて私が頭使って考えてるのと同じくらい考えてしゃべって、私がエネルギー使ってんのとおなじくらい振り回されろってことなんだよね。」 

「ねえ、なんで私ってこんな生きてるだけで疲れるのかな」 


「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、私はさ私とは別れられないんだよね、一生。いいなあツナキ、私と別れられて」



心が痛すぎて、好きなんだけど2回目観れないままもう何年だろう。

そろそろもういいだろうか。
あれから再生しただろうか。

古井由吉の杳子を再読した時のように、全く違う視点で尺度で捉えることが出来るだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?