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私の血族、あなたの血族〜読書日記〜

 私は、すべてを家系のせいにしてしまおうとする気持は、さらさら無い。しかし、もしかしたら、これは血筋ではないかと思ったりすることがないわけではない。夜中に目ざめて、溜息をついてしまうようなことがあるのである。それも私の不安につながっていた。

 私には、知りたいという気持と、知りたくないという気持が常に交互していた。

 山口瞳「血族」より


 これはごく私的な話になるのですが、私の両親は自分の過去についてあまり語りません。
 当時住んでいた家の環境だったり、遠足などの行事の話を時々聞くだけで、両親の身内話いわゆる「血族」に関する話は積極的にはしてくれませんでした。
 親戚の付き合いも希薄で、自分の家族の事さえも語りたがらない親。
 そんな私の心を激しく揺さぶってくれたのがこの山口瞳「血族」でした。

 大正産まれ、そして男である著者に「瞳」という何とも新奇な名前を付けた母は、周囲が驚くほどの美人。そして親類縁者もまた美男美女が揃っていた。
 みんなに共通するのは自堕落なところ、垢抜けて洗練されているところ、総じて誰もが怒りっぽく涙もろい事…それを著者は「血筋」「血」と表現している。
 やがて老いていった作家は自身が長年抱いていた母の謎に迫っていく。
 アルバムから不自然に欠落した写真、兄と自分の関係、母がひた隠しにして死んでいったその生い立ち。
 
 誰にでも「血族」がいます。この世界に産まれた限りは血の繋がった人間が一人はいる筈で、その人もまた誰かと血が繋がっている。
 私たちは「血」という、言ってしまえば「戸籍上の」繋がりだけで「絆」を錯覚するけれど、この本からは絆なんて生温い、何か「業」としか言えないものを感じます。
 一族の歴史というのは血の歴史であり、業の歴史なのかもしれない。
 そう考えたら確かに溜息も吐きたくなる。

 けれど同時に楽しくもなって来るのです。
 生きるとはこういう事だと思う、だから生きられると思うのです。
 極々私的な流離譚があるから、人は人として生きていける。

 最後、著者が見つけたのは紛れもない「血族」でした。
 私は未だに血とは何なのかと考えているけれど、いつかはその謎に挑んでみたいと思います。
 誰にでも血族はいる。
 だからこそ悲しい、だからこそ恐ろしい。
 だけど優しい。
 鏡に写る自分を見つめながら、一族の輪郭を探してみました。

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