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202 光と影

美しさとコントラスト

 いまの時代、スマホで写真を撮ることは当たり前になっている。携帯電話にカメラがついた時から、私たちはとにかく写真を撮るようになった。デジカメも流行した。フィルムと現像の手間がない。メールで送ることができる。それは、当時は画期的だったし、あっという間に普及した。
 おかげでいまや、花見スポットへ行けば、誰もがスマホを構えているし、大谷が打席に入ると大勢の観客たちがスマホを向ける。事件や事故の現場でも同様だ。
 私は以前は一眼レフのカメラを持ち歩いていた。まだフィルムの時代だ。そこにオートフォーカスが登場し、EOSを使うようになった。ところが、このマイブームはあっさりと終わる。カメラを持ち歩くことが苦痛になったのだ。あれはなんだろうなあ、いまもよくわからないけれど、ある日、突然にそれは訪れたのだ。
 いまから思えば、写真を撮ってどうするか、その目的、目標のようなものがなかったからかもしれない。中学校時代に写真部にいたことがあった。その先輩は「今度、現像を教えてやるから」と口では言いながら、結局教えてくれず、写真部は部員激減により自然消滅してしまった。
 その残念な過去を取り戻したくてカメラを持ち歩いたのだろうか。
 そして、カメラを持ち歩くことはなくなったが、携帯電話ではよく写真を撮ったし、いまもスマホで撮影している。このnoteのタイトルに使っている画像はほぼすべて私の撮影したものだ。
 突き詰めれば、それは光と影の世界である。
 美しいと感じる場面には、必ず光と影があり、その明暗の差、つまりコントラストによって印象は大きく変わる。
 撮影後にもコントラストは微調整できるけれど、作為的な明暗差よりは、自然な明暗差の方がやはりいいような気もする。

曇天とソフトフォーカス

 あまりにも天気がいいと、コントラストが強すぎて、思うような写真にならないこともある。かといって、光が足りないと、やはり印象に残らない写真になることも多い。
 それでも、あまり強烈な影の出ない曇天時は、比較的、撮りやすい。逆光をあまり気にしなくてもいいからだ。
 かなり以前だが、ソフトフォーカスの流行みたいなものもあった。淡くボンヤリといした雰囲気は、印象派の絵にも似て、むしろ光と影というよりは、全体にふわっと光をまとわせていくようなイメージが作れたからだ。
 私自身はソフトフォーカスをそれほどいいとも思わなかったので、やったことはない。ただ、いまは出来上がった写真をソフトフォーカス風に加工することはできる。
 いまの時代、どちらかといえば、明暗をくっきり映し出す方が好まれるのかな、と思うこともある。それは写真や絵に限らない。CGやVFXによって生み出された画像は、とても鮮明でパキッとしている。アニメもそうだ。ゲームの映像もパキッとしている。
 東京においては、再開発が進めば進むほど、街そのものがパキパキしはじめてゲームの中にいるような印象になる。再開発は、モヤッとしたものをすべてパキッとさせてしまう。
 最近、テレビドラマを見ていると、遠景が減ってアップが増えている気がする。スマホでサブスクで見る人が増えているからかもしれない。また街がパキパキしてしまって、引きで見せると余計な情報がいっぱい入ってしまうからかもしれない。小さな画面で見る人にとっては、ぼんやりした映像や、よくわからない漠然とした世界は見ていられないかもしれない。
 光がますます強くなり、影がどんどん深くなっていく。コントラストの激しさは社会のあり方にも及ぶのかもしれない。

星空の華ちゃん


 

 

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