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245 いまさらのコロナ

忘れたころにやってくる

 その家族に、いまになって、2024年5月になって、コロナ陽性の激震が襲った。
「えー、なんでいま?」
 嘆く母。
「ワクチンやっているし、いいクスリもあるから……」
 ちょっと戸惑う父。
 そして熱の出た娘。最近、職場が変わったばかりで、実は前の会社に健康保健証を返したところだった。新しい職場にはまだ二回しか顔を出していない。この段階でコロナ陽性となり「明日から5日間待機」と3日分の高い薬を貰ってきた。病院に電話をしてタクシーで向かったのだが、帰りは歩いてきたという。歩けるのか。すごいな。
 そして徹底した感染防止。次亜塩素酸とかアルコールとか。部屋に隔離。共有しない。仕方なく共有するバスルーム、トイレはその都度、消毒。
 ゼロ日目はとにかくどうやっていくか、ひたすらネットで最新情報を見ながら検討。不安な夜を過ごす。あれだけ大変だったコロナ禍にあって、この家族、夫婦と娘と犬。こぢんまりとした一家は、見事に一度も感染することなく乗り切ったはずだった。
 もっとも、その間に植え込まれた「コロナは恐ろしい」「コロナになったら大変だ」がアップデートされていない。だから、大変で恐ろしい夜を過ごした。
 1日目。熱が37度に下がる。食欲はまだない。ほかに症状がない。怠いらしい。ひたすら寝る。「熱のない家族は買い物ぐらいはしてもいいはずだ」と母は買い物に出て、熱ピタシートなどを入手する。消化によく食べやすいものを探してくる。うどん。玉子。父親は酒を飲む。町内は祭りの初日で賑やか。犬が祭りの音に脅える。
 2日目。熱が37度をわずかに切る。娘は食欲も出てきた。相変わらず、ほかに症状はない。幸い、父母ともに熱は出ない。朝昼晩と熱を測っている。母はそれでも熱があるような気がしてならず、父は喉がおかしい気がしてならない。風呂はシャワーだけにする。こんなときに誰も受け取れないタイミングで郵便が来ていたらしく、不在票。郵便局に取りに行くしかないが、待機期間が明けてからになるだろう。父は酒を飲む。祭りは最高潮。
 3日目。熱は35度。平熱になった。なんでも普通に食べることができる。薬もこの日で終わる。とうとう熱ピタシートは使わなかった。父は鼻水が出て、くしゃみも出るが、これはなにかのアレルギーである。なぜか今年は花粉シーズンが終わっても時々、症状が出るのだ。
 4日目。その繰り返し。あと1日だ、という希望しかない。
 5日目。最終日だが、母親は「10日間は気をつけた方がいい」との情報をもたらす。もちろん待機は今日で終わり。明日、娘は会社へ行く。

コロナ禍は遠い記憶か

 というわけで、待機の間、特別おもしろいことも起こるはずもなく、ただひたすらじっとしていた家族なのであった。
 大相撲の期間で、若手の関取もこの時期にコロナで休場とか。コロナ陽性の当人のみ休ませればいいわけで、大騒ぎにはならない。当然、この家族もなにもなかったような顔をしている。
 会社へ出た娘から「みんなに歓迎された」とLINEが届く。気遣ってくれる職場らしい。社食が充実しているとの話もあった。できるだけ長くそこに勤めてくれたらいいな、と思いつつ、母を喜ばせたのは「新しい健康保険証」であり、「早く病院と薬局で手続きして」と。確かに、健康保険の切り換え時だったので、10割負担だったのだ。これを取り戻さなければ……。
 コロナ禍と記すときは、新型コロナの分類が「5類」になった2023年5月以前のことで、それからすでに1年も経っている。インフルエンザと同じような感覚になっている。それは、多くの犠牲の上にようやく到達した段階であり、もちろんいまでも重症化の恐れは常にあるので軽んじることもできない。
 もしこれがコロナ禍での事なら、noteに特筆すべきことになっただろう。しかし、いまではもう、そうではない。そうではなくなったコロナに感染したことは、普通のことなのだろう。だからnoteに書くことはなにもない。
 とにかく父親はホッとするのだった。

シャッターを描き続ける。


 
 

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