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246 クルマの思い出

神奈川県民だった頃

 ちょうど246回目なので、246(にーよんろく)にかこつけてクルマの話をしようと思いついたのだが、なにぶん、昔の話なのであまり正確ではない。それでもネットではちゃんと資料がそろうので、なんとかなるかもしれない。
 246は、都内では青山通り、玉川通りが知られている。神奈川では厚木街道である。オシャレな響きのある青山通り、玉川通りから、いっきに歴史を感じる街道になる。
 それもあって、私の記憶の中では246というよりも厚木街道がしっくりくる。ところが、厚木街道は2種類あった。ひとつは本命である246。もうひとつは県道で、まったく違う場所を通っている(国道16号とつながっている鶴ヶ峰付近から相鉄線に沿って厚木まで)。もっとも、当時、これを混同した記憶はない。目的地がわかれば、違う道だから明らかだった。
 最初に乗ったクルマは中古のサニー。ハッチバックだった。とても乗りにくく、友達と釣りに行くには役に立ったけれど、長く乗るつもりはそもそもなかった。もちろん、カーナビはない。地図を見て走るのだ。いまならスマホを見ながらの運転は危険な行為だけれど、昭和の頃は、ハンドルに地図を広げて走っているクルマはちょくちょくあった。信号で止まるたびに、助手席にいる友人と地図を見ながら、あーだこーだしていて、後ろからクラクションを鳴らされることもよくあった。
 そのうち、サニーを停めていた近所の駐車場に家が建つことになり、駐車場を失ったことでいったん、自分の車もなくなった。父親の車を共有することになった。父親は頻繁にクルマを乗り換えていた。マツダのファミリアが最初だったと思う。そのあと日産ブルーバードになってからはずっと日産車ばかりに乗っていた。最終的に免許返上する直前はセドリックだったはずだ。
 この父親のクルマが、一時期、私のクルマを父親が乗る、という逆転現象があった。スカイラインGTSを買ったからだ。このクルマは、いまも旧車でよく見かける。とてもいいクルマで、父も気に入っていた。
 246はもちろん、保土ヶ谷バイパス、16号、1号、第三京浜、横浜横須賀道路、小田原厚木道路、134号、西湘バイパスなどなど。よく利用していた。

クルマを諦めた

 一時期、箱根に頻繁にクルマで行っていた。早朝に家を出て、美術館を回って日帰りだ。あるとき、それほどスピードを出していたわけではないのに(のぼり坂だったしカーブ多いし)、濡れたか凍っていたかした枯れ葉にスベってガードレールにぶつかってしまう。ハンドルが効かない経験は恐怖だ。アクセルから足を放したが減速しながらまず左にガーンとぶつかって、その反動で右の路肩までスベった。
 これが最初の事故というわけではない。社会人一年で、会社のライトバンに乗って相模原付近をうろうろする営業をやっていたので、毎日、クルマに乗っていたこともあって2度ほどぶつけられたことがあった。速度違反は1度だけだ。仕事でちょっといいことがあって見通しのいい道で、ついアクセルを踏んでしまってねずみ取りにやられた。
 小田原厚木道路でエンジンがぶっ壊れる事故もあった。この原因は不明だったがメーカーは無償で直してくれたので、なにか問題があったに違いない。
 そんなこんなのクルマ生活も東京に住むことになって、終わった。
 だいたい東京に住むメリットの一つは、クルマが不要なところだ。そもそも駐車場がとても高い。そのかわり便利。地下鉄もJRも民鉄も。
 そういえば今年、免許の書き換えである。東京に来てからは完全なペーパードライバーになってしまった。マイナンバーカードが身分証になるので、これまでのように免許は必携ではない。
 それにニュースで見るドラレコの恐怖映像を見ていると、いまの時代にクルマを運転する自信がまるでない。ただ、いざという時には、役に立つかもしれないから、更新を続けている。
 いまも「写真付きの身分証」として使っているし。なんだかマイナカードを出すのはちょっと恥ずかしい。
 それでもいずれ、返上するときが来るのだろうか。

昨日との差がちょっとしかない。


 
 
 
 

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