見出し画像

11 見えないところを見るための道具

『社会を知るためには (ちくまプリマー新書)』(筒井淳也著)を読んでいることは前に書いた。

 まだ冒頭部分であるが、「社会を観察・説明するのが難しい理由」に登場する社会の見方の図示があった。社会を外から客観的に見ることはできない。中にいるからだ。それは「暗い箱のなかを小さなライトで照らすようなもの」と言う。光(あるいは分析ツールや理論といった道具)を通してしか社会は見えない。しかも、光が当たっているところしか見えない。
 この指摘から、微睡みの中で、いろいろと想像する。
 研究者としては、この見えているところが最も大事なのだろうが、生きている私たちは、見えているところは取りあえず「見えている」と認識しているため、むしろ気にならない。見えているそれを気にしていたら、とても生きづらくなりそうだからだ。そういう部分はそれぞれ、誰かに取りあえず任せて生きている。
 一方、膨大な見えていない部分は、常に気になる。この見えない部分も、人によって違う。みんなは自分の小さなライトを持っているので、そこで照らしている範囲はわかっている、というか見えている。それ以外の膨大な闇は、もちろん自分でも照らしていくことはできるけど、そこを照らしている間に、さっき照らしていたところで変化が生じている可能性はある。ほぼ、間違いなく、変化はしているはずだ。

見えないところを知りたい

 だから、私たちが知りたいのは、見えているところではなく、見えないところだ。そこを照らしている人から教えてもらえれば、ありがたい。メディアとかSNSは、そういう意味で、自分では見えないところを照らしている誰かからのメッセージだとも言える。本やテレビや映画もそうだろう。
 NHKの「〜脳科学の最先端をゆく〜 - 現実(リアル)はこうして作られる」だったかもしれないが、人間の視覚は、そもそも狭い範囲しか見えていない。それ以外は脳内で作られたものだという。視野がいくら広くても、脳内で処理が追いつかないので、いま「パッ」と見た光景は、その大半が脳内で用意されたいかにもそれらしい現実だというのである。
 もちろん、それを補うために、眼球は常に動き続けてさまざまなところを見ることで脳に情報を送り続けて、新しい情報に基づいて「いま」を描き出している。
 この話からすると、よく「瞬時に目に焼き付ける」というカメラのようなことは人間にはできない。わずかな時差を伴いながら数千フレームの映像をつなぎあわせている、という方が近いのかもしれない。

ノーベル物理学賞の「アト秒」

 そういえば、夕べ、2023年ノーベル物理学賞が発表された。「ノーベル物理学賞「アト秒」で光出す手法開発 米欧の研究者3人」
 電子の動きをより精密に観察するために、100京分の1秒つまり「アト秒」だけ照射する光源を創り出した功績だという。
 詳しいことは私にはよくわからない。ただ、言えることは、「なにかをよりちゃんと見ようとするなら、そのための道具が必要」ということだ。
 その意味では、社会をよりきちんと見ようとすれば、自分の目だけではムリなので、それに必要な道具を用いることになるだろう。
 もしかすると、政治や行政が、時として「よかれ」と思って打ち出したことがちっともいい成果に結びつかないどころか、たくさんの反発を招き、やがて反対運動にまで発展してしまうケースを見ると、確かに一部の人たちの利権であるとか票が欲しいとかあるいは責任を取りたくないなどの消極的な動機もあるだろうけど、それ以前に、社会を見るための道具が不足している、あるいは欠けているからかもしれない。
「よかれ」と思った人たちが見ている社会と、多くの人たちが見ている社会は乖離しているとすれば、それを埋めるための発明が必要になりそうだ。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?