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253 引き出し力ってあるのか?

引き出す力を持つ

 先日、ときどきコメントをいただいている神野守さん(一面識もないnoteつながりです)が、ふと私が書いたコメントについて丁寧に文にしていただきました。ありがとうございます。

 それらしいことを書いている私ですが、必ずしもスピリチュアルは得意ではありません。たまに『月刊ムー』を読むぐらいです。dマガジンで読めるので。
 そもそもは、私は読み物としての占いを活用してるんだよね、みたいな話が発端でした。その意味で、創作、小説も同じように受け取る側の問題になりますよね、と思ったわけです。

 すべては自分の力ではないのだ、とする神野さんのスタンスは、とてもすがすがしいと感じました。ま、いま、直接返すのではなく、次元の違うすがすがしさで置き換えてしまいましたが、このあたりは感覚の問題で、言葉の限界も感じます。文字表現でストレートに記することは困難だな、と私が思ったしだいです。ほかの方ならもっと上手に表現するでしょう。
 話は、ここから変わります。神野さんの言葉にインスパイアされたのですが、要するに「引き出す力」を持つことは、人生を楽しむコツになるのではないか? 唐突に私に降ってきたのです。ああ、こう書くともうそりゃスピリチュアルじゃん、と自分でも思うけども。
 私は長年、取材して記事にする、あるいは単行本をつくる、といった仕事をしてきたので、自分のことは置いておいてとにかくお題(編集部あるいは私も含めて協議の上に企画化されるのですが)について、どなたかに語っていただかなければならない。あるいは、語れる人を探さないといけない。
 つまり、他人の引き出しをあてにして生きてきたのです。
 自分の引き出しは空っぽでもいいので、とにかくなにかがいっぱい詰まっている引き出しを持っている人にぶつかること。それを開いて、中身を吐き出してもらう。バーッと出て来たそれを、私なりにまとめていく。
 それほど上手ではないけれど、インタビューでは相手から話を引き出す必要がありますし、座談会でも話題がちゃんと表現したい記事に使える方向へ進むかどうか気を配っていなければなりません。さらに、いきなりこちらの引き出しから飛び道具を出すような失礼なことは避けて、できるだけ「それはこれだ」と気付いてしまったとしても、相手の口から引き出したい。なぜなら私が語ったことは記事や書籍にとってはなんの値打ちもなく、相手が語ったことがすべてだからです。
 私自身はそれほど引き出し力は高くはないですが、世の中には優れた人たちもいます。アナウンサー、著名なコピーライターであるとか、起業家、小説家といった人たちの中に、引き出し力の強い人がいます。一般には「聞き上手」といわれがちです。だけど「聞き上手」はずいぶんと受動的な印象になってしまう。もっとアグレッシブな行為だと私は思っています。人柄もあるので一概には言えませんが、けっこう周囲の人がヒヤヒヤするようなことも平気でぶつけてしまう。デッドボールを食らわしてヘラヘラしていても、当てられた人が「いいよいいよ、あなたならいいよ」と言ってくれるような人です。ま、そう多くはないでしょうけど。聞く力+人たらし力といった感じかもしれません。

幸福度が低いのは引き出し力が足りないから

 さて、ここでさらに飛躍してみます。なんかしょっちゅう目にするような内容の記事なんですが。読みようによっては深刻です。とくに子どもの幸福については考えさせられます。

 ここでひとつ、引き出し力を強化することで幸福度を上げられないだろうか? そう思ってしまった。
「他人の褌で相撲を取る」じゃないですが、「他人の引き出しをあてにする」ことは、日本では古来からまったく推奨されておりません。「そういう人間になっちゃダメだよ」と言われてしまう。
 でもグローバルな現代において、この精神は通用しない。引き出し力は他人の引き出しをあてにします。しかも相手は「どうぞどうぞ」と喜んで引き出しを開けて中を見せてくれる。さらにこちらで使わせてもらえたりする。所有はしていないけど、他人の引き出しも「自分の引き出しみたいなもの」なので、自分の引き出しの貧しさを卑下する必要はありません。
 通訳の人、アナウンサーなどのコミュニケーター、起業家など企画力のある人の中で、多くの人に喜ばれて高い社会的地位を得ている人たちがいます。そういう人たちの生き方を見ていると、あるときに他人の引き出しを見せてもらっていることが多い。引き出しをそっくり貰ってしまう人もいれば、他人の引き出しの中身を自由に使わせてもらっている人もいます。
 簡単にいえば「人たらしだから」で終わってしまうことでしょう。でも、実はそうやって引き出せる力を持っている、あるいは磨いている人は、きっと世の中が楽しくてしょうがないはずです。だって、自分がどれだけ不幸でも、幸福な人の引き出しを開ける力があればいいわけだから。そこに希望がある。そして他人の幸福を共有できれば、幸せ感は増すのではないか。
 おっと、やっぱりこりゃ、スピリチュアルだな。たわごとと思ってください。だけど、このnoteは、私の引き出しでもあるんですよね。

うちの愛犬、8歳になりました。商店街の絵はお休み。



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