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314 寝付きをよくする努力

眠れるようになった理由

 以前、こんなことを書いている。

 この記事でよく眠れている、と書いた。実は、それには長年の努力があった。いや、大げさだな。でも、ずっと寝付きがよかったわけではない。
 やはりストレスも重なると眠れなくなるのが人間だろう。暑いから眠りが浅い、エアコンはどうも苦手、といった声もあるけれど、根本はストレスな気がしている。あくまで私見なので、ふわっとした話だけれど、一応、書いておこう。
 なかなか眠れないときは、ストレスが重なっていた。締め切り、取材といった仕事上の進行にまつわるストレスだけではない。その仕事をしたことによって得られる収入と、これから予想される支出を考えると不足するのではないか。家計が破綻するのではないか。次の発注は? この間の企画書は? 請求書を送ったのになかなか振り込まれないのはなぜか? そのほか家族にありがちなあれこれも含まれる。
 そんな時に、これまた取材で出会ったのが自律訓練法だった。メンタルヘルスの取材を定期的にやっていた時期があった。たいがいは話をうかがうだけなのだが、たまたま「やってみましょう」となった。
 仰向けに横たわって、「右腕が重たい」、「左腕が重たい」、「右足が重たい」、「左足が重たい」と暗示をかけていく。これは主に「重い」と「温かい」があって、フルにやるとそれなりに時間もかかる。
 その簡易版のようなものを寝るときにやっていた。毎晩である。ある時はそれをやっても眠れなかった。ある時は途中で眠ってしまった。
 自律神経の問題だ、とよく言われるのだが、これを長年やっていたら、ストレスが減っていくにつれて、さらによく眠れるようになった。
 かれこれ10年以上は毎晩、眠るときにやっていたのである。

カラオケは同じ曲がいいのでは?

 要するに、ストレスを一時的に自分の中から遠ざけるには、「重い」「温かい」のような、別の感覚に集中していくことが有効なのだろう、と自分なりに理解していた。
 平常心と言うのは簡単だけれど、人はそうそう心を落ち着かせてストレスから逃れるなんてことはできない。
 それを、別のことに集中させることで心をいっぱいにしてしまう。一時的にせよ、ストレスを忘れられる。夜中に考えてもいいアイデアは出ないのだから、明日の朝にしようと思える。
 眠る直前までやっていて、どうにもならず明日の締め切りに間に合うのかと思っても、私は眠るようになった。「まず、寝てしまえ」である。
 朝起きたとき、当然、頭の中は締め切りのことで一杯になっている。ところが、あれだけ不可能そうだったことが、翌朝から取りかかることでどんどん進んでいく。「あー、これはやっぱり、夜中とかにやっちゃダメなんだ」と思う。結果がいい方に出ることが続くと、この習慣は自分にとっては当たり前になっていく。
 この理屈からすると、たとえば、仕事のストレスを解消するためにカラオケに行くとしたら(私は行かないんだけど)、次々と新しい曲に挑戦するよりも、同じみの、いつもの曲を歌った方が発散できるのではないか。つまり余計なことは考えないで歌える曲に没頭した方が、ストレスは解消できるかもしれない(実験したわけではないので効果は不明)。
「規則正しく」とよく言うのも、このあたりに人間の耐性との兼ね合いがありそうな気がする。ルーティーンにはまり込んでいけば、余計なことを考えずに済む。いかにそこへ自分を持って行くか。その工夫しだいなのかもしれない。
 このnoteもだいたい毎日、同じ時間帯に書くことが多く、自分にとってのルーティーンとなっているから続けられているのだろう。
 もっとも、ルーティーンはいつか崩れる。効かなくなるというよりは、飽きるのだろう。心がほかのことを求めて動き出すときが来るからだ。そうなると昔のルーティーンはむしろ邪魔になっていく。
 自立訓練法はいまはやっていない。だけど自分なりのルーティーンはある。水を飲む。トイレへ行く。リステリンで口の中をゆすぐ。布団に入る前に腰痛の体操(反り返るだけなのだが)をする。そして寝る。いまは、こんな感じでパタッと眠っている。

絵を描くのもルーティーン。


 
 

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