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15 古本で育った

「古本屋に『なる』講座」

 昨日、神田神保町の東京古書会館で開かれた「古本屋に『なる』講座」に参加した。抽選で運良く当たったのだ。というか、100人以上の応募があった中でおよそ70人ぐらいの規模だったろうか。本気で古本屋になろうとしている人には、私のような脆弱な動機では申し訳ないのだが、少なくとも中学時代から「古本屋」は憧れの対象だった。
 この講座では、経堂に開業した「ゆうらん古書店」の店主・今村亮太氏に、「始めかた編」を。台東区根岸の「古書ドリス」の店主・喜多義治氏が聞き手となって、かなり詳細な話を伺えた。続いて、「続けかた編」として西荻窪の老舗「古書音羽館」の店主・広瀬洋一氏による講演。手書き資料をまじえて熱のある話が伺えた。
 さらに、主催した東京古書組合による、古書交換会(市場)での入札の仕組みを具体的に見せてくれた。そこでも、いかに値をつけるかを含めた話が伺えた。
 なお、この模様は、東京古書組合によるYouTubeチャンネルで一部が公開予定となるようだ。
 いずれにせよ、古本が好きだ、という前提の上に、商売、市場、経営といった観点が加わるので、一筋縄ではいかない。なおかつ、店舗の売り上げは今後もそれほど大きくは望めず、ネットや市場など多様な販路をそれぞれ見出していく必要がある。
 実際、いまは「古本を買おう」と思ったら、まずネット検索になる。そこにはヤフオク、アマゾン、ブックオフ、メルカリといった巨大資本系がまず目につくし、古書組合の運営している「日本の古本屋」もある。この「日本の古本屋」は、私も愛用していて、ちょっと価格高めの本や見つけにくい本をここでときどき購入している。質はもちろん、価格的にも納得できることが多い。
 主催者によれば、今回の特徴は、女性参加者の多さ(ざっと見た感じ3割ぐらい)、若い参加者の多さだという。それだけ、古本屋は、人々を惹きつけている。
 全国で新刊書店が減っていく中で、特徴ある古書店が増える傾向を見せているのはおもしろい現象だ。
 ちなみに、私個人としては、商売の下手な者として、これはうかつに手が出せないな、と感じた。古本好きであることはいいとして、古本屋は「商い」なので、商売のセンスがなければ厳しいだろうと感じた。

従弟の本棚からはじまって

 小学生の頃、年の離れた従弟が大学を卒業して郷里へ帰るときに、小さな本棚を置いていった。私はそれを「捨てないで」と頼んだ。これが自分の最初の本棚で、一人っ子の自分としては初の「お下がり」であり、これが古本そのものであった。
 そこには小学生には少し難しい本が、だが大人にとっては比較的読みやすい本が30冊ぐらい入っていた。『何でも見てやろう』(小田実)はよくわからず「いつかわかる日がくる」と感じた。しかし『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫)と『マンボウおもちゃ箱』(北杜夫)は何度も読み返した。『快男児・怪男児』(遠藤周作)は実在の(当時テレビなどにも出ていた)キャバレー王の半生を元にした作品で痛快だったが、まあ、大人の読む本だったろう。ともかく、当時、『シートン動物記』『ドリトル先生シリーズ』を愛読していた小学生にとっては、とてつもない刺激となった。小松左京らSF系、團伊玖磨『パイプのけむり』、初期のマンガ『サザエさん』、『フジ三太郎』(サトウサンペイ)などもあったと思う。
 生まれ育った横浜の住宅地では、駅前に新刊書店が1つ。古書店は3つあった。その中でも大好きな古書店は、中学校の通学路に近く、よく帰りに立ち寄った。そこで手に入れた本は、数えられない。ただし、文庫ブームがやってきたら、新刊の文庫を買うことも増えた。古書の単行本より新刊の文庫の方が安い、しかも解説付きということがあったからだ。
 ともかく、最初から古本になんの抵抗もなく、高校進学すると、ターミナル駅を通学で使うことから、かなり大きな古書店に毎週のように行った。そこでは「特価本」(新刊だが安い)や「新古本」(古書だが新品)を知った。
 大学になると当然のように神保町を回遊した。社会人になってからも、ときどき神保町へ足を伸ばした。サイフに余裕が出てきたので、写真集とか興味のあった戦前戦中の雑誌を買ったりしはじめた。
 そもそも雑誌好きだったので、人の生活に密着した記事に興味があったのだ。
 神田古本まつりは、今年も10月27日から開かれるが、よく行った。当初は青空市を中心に見ていたが、しだいに東京古書会館で開かれる珍しい本の即売も見るようになった。

本の深さを楽しむ

 横浜から東京へ引っ越すにつれて、こうして得た本の大半は手放してしまったし、東京で住むようになるとそもそもスペースがないので、買うのは控えるようになってしまったけれど、いまも古本は好きである。
 古本は、誰かが読んだ本。誰かが買った本。蔵書印のある本やサインの入った本もある。古本を購入する動機としては、「安い」がある。新刊よりも安い本を探そうとしたら、古本になる。
 さらに絶版になるなどして、書店では手に入らない本も古本で入手できることがある。また、バージョン違いもある。著者によっては、再版時、文庫時に加筆修正することもあるので、それ以前のバージョンは古本でしか手に入らない。
 あまり古い本だと、当時の検閲のせいで、伏せ字ばっかりのものになってしまう、といったこともあるが、それはそれで時代を感じさせる。
 つまり、新刊書籍を買うことは、ストレートに本の内容を読むためだが、古本には、ちょっと深い味わいがプラスされる。
 また、古書店は新刊書店よりも、出会いが多いと感じる。年代の奥行きがあって、それでいていわばセレクトショップのようなものなので、意外な本に出合うことが多いのである。
 本は出会い頭の事故みたいなものがおもしろいこともあるので、その点で古書店はもっともスリリングな場所と言える。
 専門的な古書店が増えているというが、あえて自分の専門ではない棚へ行くことも大きな楽しみだ。
 私は、ジャック・ヒギンズのファンだったときがあり、彼は別名義でたくさんのIRAスパイものを書いていたが、翻訳されていなかった時期もあって、古書のペイパーバックを買っていたこともあった。英語堪能とは言いがたいので、あくまであらすじと雰囲気だけを楽しむようなものだったが、楽しかった。映画『ランボー』の原作である『First Blood』に出会ったのも神保町の古書店だ。ベストセラーの本はたくさん売りに出るのだ。その後映画化されて邦題が『ランボー』になって「乱暴にかけたのかな」と思った。
 そんな余談はどうでもいいのだが、枝葉末節に楽しみを見いだせるのも古本のおもしろさである。
 私はおそらく古本屋はやらないだろうけど、今後も古本を楽しみたいとは思っている。いまはスペースの関係と経済的な関係で買い漁るのはムリだが、ちょいちょい古書店を巡る楽しみは、続けたい。
 
 
 


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