見出し画像

【読み切り】17歳とかっぱ巻き

「シャリって、どうしてシャリって言うか知ってる?」

「いきなり難しいこと聞くね」

「シャリ、は分かるでしょ?」

「ごはんでしょ?」

「そう。正しくは酢飯ね。さぁ、どうしてでしょう?」

「食べる時にシャリ、シャリって言うから。」

「ハズレ~。そんな酢飯イヤだよね、あはは!」


全国展開するこの寿司店で僕がアルバイトを始めてからまだ3日。

どちらかと言うと人見知りなはずの僕が3日目にして、既に周りのスタッフさんたちの輪に入り、他愛もない会話を交わせるようになっていた。

それは、スタッフさんたちの中でひと際楽しそうに話す「その女の子」のおかげだった。
「その女の子」と僕は小学5~6年の時のクラスメイトで、とても仲が良かった。


- 初日の出来事をよく覚えている -

それまでアルバイト未経験であった僕にとって、目や耳に次々と飛び込んでくる情報量の多さに戸惑っていた。

何とか初日の勤務を終え、タイムカードの退勤操作をしていると背後から「ねぇ、まだ気付かないの?」と声を掛けられた。
振り返ると「その女の子」がニヤニヤしながら僕を見ていた。

僕が意味が分からずに戸惑っていると、彼女は「もうっ」と言いながら周りを見回し、そしてテーブルの上のジュースのビンを手に取って僕に差し出した。

ビンの意味が分かった僕は思わず「ぶふっ!」と吹き出してしまった。

僕の脳回路は一気に6、7年前まで遡り、あの日の出来事を鮮明に呼び戻し、そして「その女の子」が「松本さん」である事を教えてくれた。

「だからビンなのか… やられた~っ!」

これには驚いた。
目の前で手を叩きながら大笑いしているのは確かに松本さんだ。
オーバーリアクション気味の、豪快な笑い方は全く変わっていない。

僕の記憶に残る松本さんは、もっとふっくらとしていた。
当時の松本さんは、自分の名前の横にいつも自分でアンパンマンの絵を書き添えて、さらに吹き出しで「やせてやるっ!」という文字まで入れて笑いを誘う、そんな自虐センスの持ち主だった。


僕に向けて差し出されたビンの元ネタはこういうものだ。
ある日、クラスの男女数人で、松本さんが隠し持っていたコーラのビンに指を突っ込んで勢いよく引き抜いた時の、心地良い「ポンッ!」という音を鳴らして遊んでいた。
やがて松本さんの番になり、彼女が指を抜こうとしたが指が太かったために抜けなくなり大騒ぎした、あの有名な「コーラ事件」の事だった。

昼休みの出来事だったのだが、みんなで何とかして抜こうとしたのだが抜けず、恥ずかしさと、何よりもコーラを学校に持ち込んでいた事がバレるのを恐れた彼女は先生に助けを求める事も出来ず、指がビンに刺さったままの状態で午後の授業やホームルームを切り抜けたのだった。
いったいどんな手を使ったのかは分からないが、バレずに済んだというのは驚きだった。指も無事だったらしい。


そんな松本さんが、変貌を遂げていた。
目の前の松本さんは、背丈は当時とさほど変わっていないようだが、驚くほどスリムになっていた。気が付くはずがないレベルの痩せ方だった。
女の子は変わるよ、と姉が言っていたが、まさにその見本のようだった。

ちなみに彼女によれば、シャリという言葉は仏教用語が語源になっているらしく、米粒の見た目が、火葬されて粉状になったお釈迦様の骨に似ていることに由来するそうだ。漢字では「舎利」と書くらしい。


そんなある日のこと。
あるスタッフさんが発した「かっぱさんが来た!」の声に、店内の空気が瞬時に張り詰めた。

みんなの目線の先には、道路の反対側の歩道を自転車に乗って近づいて来るおじさんが見えた。
つばの広い麦わら帽子と、裸足にサンダル姿でふらふらと自転車に乗るさまは、田舎町の夏の田園風景によく馴染んでいた。

松本さんが僕を「こっちこっち!」と呼び寄せ、他のスタッフさんたちはまるで訓練された兵士さながらに即座に持ち場につき、手際よくカウンター下の冷蔵庫から材料を出し並べて「ある物」を作り始めた。

「かっぱさん」とはいったい何者なのか。
商品を作り始めたという事はお客様なのだろう。
それともまだ僕が会っていない上層部の人で、スタッフ一同、真面目にやってますアピールをしているのだろうか。

そもそも「かっぱさん」とは本名なのだろうか、
それとも何らかの理由でつけられた、スタッフのみが知るあだ名なのだろうか。

店内が慌ただしくしているうちに自転車は道路を斜めに横断し、店側の歩道へ寄って来た。
店の前に停めるのかと思いきや、自転車は店の前を通り過ぎて視界から消えた。
僕が(別人だったか)と拍子抜けした直後、「かっぱさん」がやって来た。

その寿司店にはドライブスルーがあるのだが、「かっぱさん」は自転車のままドライブスルーを通って来た様で、ドライブスルー専用窓口の枠に手をかけるや否や、

大声で「かっぱ10本!」と言ったのだ。

同時に「かっぱさん」は小さめの封筒を応対したスタッフに渡した。
封筒の中身を一瞬だけ確認したスタッフは、この2~3分の間にスタッフが「かっぱさん」の為だけに総力を結集して完成させた商品を丁寧に渡し、頭を下げた。
かっぱさんはニカッと笑い、軽く手をあげて去って行った。
到着から立ち去るまでの時間は約10秒の早業で、まるでF1レースのタイヤ交換みたいだった。

呆気に取られている僕に松本さんが説明してくれた。
「必ずかっぱ巻き10本なの。」
「いつも10本だからお代も毎回同じなのよ。封筒見えたでしょ? あの中に代金がぴったり入ってるの。で、一瞬で去って行くの。」
「あ、かっぱ巻きって、キュウリ巻きの事なの知ってる?」
それを知らなかった僕はメニューに目をやったが、そこには「細巻き(胡瓜)」と書かれているだけだった。方言なのかなと思った。


松本さんが言うには、
「胡瓜って瑞々しいでしょ? カッパも河堂って書くぐらいだから水と関係するじゃない? だからキュウリをカッパにかけて、かっぱ巻きって言うのよ。」という事だった。
17歳でそれを知らない僕は、無知な部類の人間だったのだろうか。

その後も松本さんと会うたびに
かんぴょうの元を見た事があるかとか、
イクラとすじこはどう違うのだろうかとか、
寿司はなぜ貫で数えるだろうかとか、
といった「寿司ばなし」に花を咲かせる日が続いた。


僕の17歳の夏は、松本さんとの何気ないお寿司に関する話題で満たされた。
ちなみに「かっぱさん」は、すぐ近くの中学校に勤務する用務員さんで、本名ではないとの事だった。

ー 貫 ー

※最後の貫はシャリ、いやシャレよ。 うまいっ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?