「一般化のしすぎ」で狭まってしまうあなたの可能性
前回、お気に入りの美容師さんが帰り際に見送ってくれなかったことにショックを受けたという、しょうもない話をしましたが、その後日談。
やはり「全か無か思考」に囚われていたようです。
今度はふつうにお見送りしてくれました(ほっとしました)。
◎一度起こった事実=普遍ではない
私はもう見送ってくれないのでは……と考えていたわけです。
この、一度よくないことがあると世の中全てそうなると考える「認知の歪み」は、「一般化のし過ぎ」といいます。
これはもったいないことです。
たまたま起こったよくない出来事を普遍的な事実として受け止めてしまうわけですから、自分の可能性をどんどん狭めてしまいます。
たとえば会社の同僚を飲みに誘ったら、用事があるという理由で断られてしまった……。
当然がっかりする気持ちはあるかと思いますが、「ダメだった。次も断られるに違いない」と考えてしまうのは「一般化のし過ぎ」です。
なお、「一般化のし過ぎ」は深く考えなくて済むので、自分がラクできる面もあったりします。
少なくとも面倒くさがり屋の人にとっては、誘わない理由をつくることができます。
◎「一般化のし過ぎ」をこじらせてしまうと?
「一般化のし過ぎ」に限らず、こうしたネガティブな思考をなかなか引きはがすことができないことがあります。
メンタル面で弱っていたりすると、世の中の悪い面にだけフォーカスしてしまい、良い面が見えにくくなってしまうのです。
これは「認知の歪み」における「心のフィルター」です。
ポジティブな出来事がフィルターにかかってしまい、見えなくなってしまうわけです。
◎良いことが見えなくなったら黄信号
よくよく思い返してみれば、友人と食事して楽しかった、今日は仕事が順調に進んだ、趣味のピアノが上達してきたなど、良いこともいろいろとあったはずなのです。
もし辛いことしか見えなくなったら、専門のメンタルクリニックなどで相談することを考えた方がいいかもしれません。
さもないと場合によっては心だけでなく体調も崩してしまいます。
実は、私もうつ病にかかったことがあります。
そのときは身体がいうことをきかなくなりました。
お気に入りの美容師さんが笑顔で見送ってくれた……みたいなささいな出来事でも、ありがたく受け止められるのは幸せなことだったりしますよ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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