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中間のない「全か無か思考」は、抗うことが難しい劇薬

今回は「認知の歪み」の定義にある「全か無か思考」について解説していきます。

その前に、なぜ「認知の歪み」について細かく掘り下げる必要があるでしょうか。
手っ取り早くネガティブ思考から脱出するノウハウを解説するのではダメなのでしょうか……?

◎歪んだ認知では思考の偏りに気付けない

極端なものの考え方を矯正するには、「いま自分は偏った考え方をしているな」と気付ける必要があります。

しかし認知が歪んでいる状態では、それができません。
「認知の歪み」の定義を知っているからこそ、自分がそこに陥っていることに気付けるのです。

◎美容院での「認知の歪み」恥体験

ここで自分の情けない実体験をお話しします。
私は月イチで美容院へ通っているのですが、担当してくれている美容師さんが少々お気に入りだったりしました。

髪をセットしてもらったあと、通常は会計して帰り際に見送ってくれるというささやかな時間があるのですが、ある日そうした時間を取ってもらえなかったのです。

やはりほかのお客さんが控えていて忙しい状況だと、会計やらお見送りやらを別の美容師さんに任せてしまう状況もあるでしょう。

しかし私はそう受け止められませんでした。

「忙しいという事情はわかるものの、顧客を見送らないのは失礼では」
「ということは相手は自分のことを好きじゃないのでは」
「この状況から察するに嫌われているのではないか」

我ながら器の小さい男だと思いますが、そんな風に考えていました。

◎「全か無か思考」は中間がなくなる

「認知の歪み」は恐ろしいものです。
美容師さんの行動には、「好き」「嫌い」いずれのメッセージも込められていなかったことでしょう。

しかし自分は「全か無か思考」に陥ってしまい、ものごとを全(好き)か無(嫌い)かで判断しようとしていたというわけです。

「全か無か思考」では中間がなくなるのが特徴です。
特に悲しいとき、怒っているとき、不安なときなどは要注意です。

◎劇薬となる「認知の歪み」

実は「全か無か思考」に限らず「認知の歪み」に抗うのは難しいもので、(役に立つ場面もあるのですが)たいていは劇薬と化してしまいます。

前回も解説した通り「認知の歪み」には、ほかにも定義があります
この「認知の歪み」から解放されるための手段については、また別の機会を設けて解説したいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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