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いま読めないのなら、傍らに置いてほしい|R.D.レイン『好き?好き?大好き?』



はじめに


とある休日。

眠い。

ひたすら眠い。

たっぷり寝たのに、ただただ、眠い。

短い文章を書いて、やめる。

ぼんやりと朝食をとって、
なんだかけだるくなり、
布団に横になったら
あっという間に正午を回っていた。

もそもそと昼食をとり、
また、しばらく、ぼうっとする。

読みかけのレインの詩集を数ページ読む、そして間もなく本を閉じる。

活字を、脳が受けつけていない、と感じる。

気分を変えて、
本業のエンジニアの学習に切り替える。

1時間。
ほとほと疲れる。
また、レインの詩集をひらく。

今度はスルスル読める。
荘子っぽい一節。
五・七・五・七・七の2つの短歌風のものも収められている。
なんか「ナイン・ストーリーズ」のサリンジャーに通じる禅のかおり。

あっという間に読み切った。

たぶん、20年ぶりぐらいに読んだけど、
印象がだいぶ違う。

サブカル感を感じない。

むしろ、古典の名作に触れたような感覚を覚えた。


レインとの出会い


新世紀エヴァンゲリオン


R.D.レインとの出会いは二度あった。

初めて出会ったのは、1995年に毎週水曜日の夕方6時にTV東京で放送されていた『新世紀エヴァンゲリオン』。

当時、ちょっとした病気で、私立病院の四人部屋の窓側のベッドで食い入るように見ていたのを思い出す。

斬新な演出。
TVとは思えないカット数(最初の方だけだけど)
黒バックに極太明朝体のサブタイトルのカットイン。

どれもエキサイティングだった。
そのなかの、CMに入る前とCM明けのパートのキャッチで
今回のタイトルがバッと出る。

CM前:
第弐拾伍話「終わる世界」

CM明け:
EPISODE:25 Do you love me?

ファンの間では、これがレインの詩集『好き?好き?大好き?』の原題だと判明すると、
ちょっとした「レインブーム」が起こった。

もちろん、自分も例外ではない。


serial experiments lain


1998年の夏。

同じくTV東京の月曜深夜枠で放送されたアニメ『serial experiments lain』が二度目だ。

その前にプレイステーションのゲームソフトとして発売予定だったものがあり、東京ゲームショウのパイオニアブースで宣伝していたので、販促物をごっそりもらい、ソフトは秋葉原のショップで予約・購入した。

TV→ゲーム、の流れになってしまったけど、その操作性の悪さは特筆すべきものがありました(悪い意味で)。

ゲームの内容は、中学生の女の子・岩倉玲音(いわくられいん)と精神科医の米良柊子(よねらとうこ)のカウンセリングのシーンの朗読劇の「断片」を集めていくというもの。

その「断片」の一つで、柊子が「玲音ちゃんと同じ名前のイギリスの精神のお医者さんで、ちょっと変わったひとなの」(おぼろげ)
というセリフで、再びR.D.レインを思い出してしまった。

ただし、TV版・ゲーム版・ノベライズの脚本を担当した小中千昭は、R.D.レインと「serial experiments lain」との関連には一切触れていない。でも関連はある。きっとある。

めでたくゲームをクリアすると「エンディングムービー」が流れる、というわけなんだが……。
この動画はかなりの衝撃を受けるんで、あまり強くおススメしません笑。

とにかく初見で『好き?好き?大好き?』を読んだ錯乱を切り分けて考えることができない。

少なくとも。


長い歳月が流れて、いま、読んでみる


そして、いま、文庫化されたバージョンで読んでみる。

驚くほど、登場人物の心の動きをつかみ取ることができるのだ。

理屈っぽく、
自分自身と精神が分かれ、
会話しようにもすぐに破綻してしまう「精神科医らしき彼」と「患者らしき彼女」の倒錯が、
違和感なく、自分の情緒に入り込んでくる。

まるで、冷たく透き通った高山の湧き水を飲んでいるかのように、
「まともに」読んでいる。

息遣いがあり、間があり、存在がある。

あまりにも「誌的」な内容だったんだといまさらながら気づく。

これも、自分が、長い歳月を生きて、
ずいぶん「変わってしまった」んだなぁ、とも思った。


まとめ


この詩集には、もうサブカル的な匂いはない、と感じた。

あるのは、裸でむき出しになった「コトバ」の散乱と収束。

どの時期に、どんな環境でこの詩集を手にとるかで、どうしても印象は変わっちゃいますね。

いま読めないのなら、傍らに置いてほしい。

ムリに読むと大怪我するかもしれないので。



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