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年末の大掃除で心もスッキリ

どうも、サラリーマン僧侶です。

12月になり、あっという間に2023年も終わりが近づいておりますね。
新年を気持ちよく迎えるため「大掃除」をする方も多いのではないでしょうか?

このnoteでは、年末の大掃除を通し、心をスッキリさせるためのアクセントになるお話を執筆させていただきます♪

お坊さんと掃除

みなさんは、「お坊さん」を頭の中で想像する時、雑巾掛けをしていたり、ほうきを持っている姿を思い浮かべませんでしょうか?

実は、お坊さん達は「掃除」を非常に大切にしています。

お寺では「おみがき」といって、普段掃除の行き届かない仏具等をピカピカにする、門徒さん(檀家さん)参加型の行事を行うことも多くあります。

私の経験ですと、西山別院での得度習礼(僧侶としての基本的な知識と作法を学ぶための研修合宿のようなもの)のカリキュラムにも、毎日2回掃除の時間があったことを思い出します。

この「掃除」ですが、物理的な汚れをキレイに取り払うだけでなく、自分の心の奥底にある塵や垢も取り除く時間として、つまり「心の掃除の時間」としても捉えることができるのです。

仏教における掃除

掃除で"さとり"をひらいた!?

その昔、掃除をきっかけに"さとり"をひらいたお坊さんのお話があります。

ブッダの弟子にチューラパンタカ(周梨槃特)というお坊さんがいました。彼は、お経も自分の名前すらも覚えられないほど、非常に物覚えが悪く、周りの仲間からも揶揄われるほどでした。

それを見ていたブッダは、彼に一本のほうきを渡し「『塵を払い、垢を除かん』と唱えてひたすら掃除をしなさい。」と言い伝えました。

チューラパンタカは、それからブッダの教えを守り、来る日も来る日も掃除を続けました。

すると、「塵や垢」とは「自分の心の塵や垢」だということに気づいたのです。
掃除をしても、塵や垢は全く無くなりません。むしろ毎日新しく生まれてきます。掃除には終わりがなく、同じように心も磨き続ける必要があるのだと気づきました。

やがて彼は、心を磨き続けることで"さとり"をひらいたと言われます。

掃除をしていると、「いままで掃除をサボっていた自分の怠慢な心」に気づいたり、断捨離をすると、「あらゆる物への執着心」に気づいたりと、これまで気にも留めていなかった意外な自分の内側に気づくことができると思います。

つまり、掃除は自分自身と出逢う時間ともいえるのです。

ちなみに、あの「天才バカボン」に出てくる「レレレのおじさん」は、チューラパンタカがモデルになったと言われているそうですね…笑
(レレレのおじさんが39歳ということにも驚き!笑)

「縁起」の道理から見る「掃除」と「心」

仏教には「縁起(えんぎ)」という考え方があります。

【縁起とは】
すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それを因縁生起(いんねんしょうき)=縁起というのです。
現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。

縁起 | 仏教語豆事典
種子(因)だけで花(果)は咲きません。
水や温度、日光など様々な条件(縁)が重なりあって咲くのです。


このように、
「あらゆる物事は独立して存在せず、複雑に関係し合って存在する」と考えられています。

一見、「掃除」と「心」は全く関係ないようにも思えます。しかし、そうとも限りません。
一生懸命掃除をし、身の回りが綺麗になると気分もスッキリしますよね。

さらに、仕事や勉強に集中するためにデスクを整理整頓するのは、この道理に基づいていると言えます。
実際、散らかった環境では集中力や生産性といったパフォーマンスが低下するという研究結果もあるようです。


このように、「掃除」を縁として「心」をスッキリさせることができるように、「掃除」と「心」は深い関係があると言えるのです。

「掃除道」といえばあの人…!

「掃除道」といえば、仏教界のレジェンドである僧侶 松本紹圭さんが第一に挙げられますね。

松本紹圭さんは、仏教者として「心」と「掃除」のつながりを見出し、その教えを説いています。

そして、松本紹圭さんは私の尊敬する僧侶でもあります。
サボり癖のある私ですから、その教えをもっと学び、実践できるように努めたいと思います。

(作務衣姿がかっこいい…!)

最後に

みなさんも年末に大掃除をする際は、身の回りも心も両方を綺麗に掃除し、スッキリした気持ちで新しい年をお迎えできるようにしてみませんか?

合掌


#仏教 #暮らし #年末 #大掃除

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