見出し画像

もう1つの意味を持つ「会釈」

はじめに

まずはシリーズっぽいもの1つ始めてみます。
題して「旅路の会釈」です。
ここでは、私の学びにおける「不明点」「つまずき」を。
あるいは、そこからの「気づき」や感じた「課題感」などを書き残していきます。

シリーズ開始のその前に…

このシリーズのタイトルに「会釈(えしゃく)」という言葉を用いましたが、実は「会釈」って仏教語って知ってましたか?
実は、私も最近知りました笑
その時読んだ本にはこのように解説してました↓

会釈[えしゃく] ルーツはお釈迦さまの説法

普通、ちょっと頭をさげて軽くおじぎをすることを「会釈をする」といいます。

しかし、本当は、もっと深い意味があるのです。

お釈迦さまの説法は、対機説法(相手の素質に適した法を説く)とか、応病与薬(相手の病に応じて薬を与える)とかいわれるように、大変広いものなので、その中には、一見矛盾しているように思われる教えがあります。

そのときそれらの相違点を掘りさげ、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにすることを、「絵通」とか「会釈」というのです。

そこから、あれこれ思い合わせて、納得できるような解釈を加えることや、いろいろな方面に気を配ること、儀礼にかなった対応をすることなどの意味を経て、今のような使い方になったと考えられています。

辻本敬順. くらしの仏教語豆辞典 上.
本願寺出版社, 2008, p.35-36

読んだ時、このシリーズで私が書きたい内容とかコンセプトにピッタリな言葉だなと感じました。

また、一般的に理解されている方の意味の「会釈」でも通じる、ダブルミーニングになってイイなと。
何か軽くお辞儀をして、SNSの海に「ちょっと失礼」的なニュアンスです。

なるべくnoteを続けるにあたって、自らハードルを下げておくのも手ですね。

この執筆を通して成し得たいこと

私は1人1人に寄り添える僧侶になりたいです。
なぜなら、お寺を「絶えず人が集まる楽しい場所」にするために必要だからです。

いわゆる「開かれた寺」というのは、つまり多種多様な価値観を持った人が集まることでもあります。
集まる人の数だけ、個性もあるということです。

分からなくても、つまづいても、「私の価値観」というとらわれから離れて、分かろうとすることが大切だと思います。
それは他人の価値観だけでなく、何事も。

だからこそ、仏教語としての「会釈」をここでできるようにしたいと思います。
ビジネスでもPDCAを輪廻(?)させることって大事ですし、それと同じように、ここで振り返るということです。

ちなみに、「旅路」の意味は「人生」くらいのニュアンスです。よくありがちな浅い意味合いです笑
(「旅路」については、少し別の場所で書くことにします。)

とはいうものの…

さっそく本題に入ろうと思っておりましたが、「旅路」の話だけで結構伸びてしまいました…。
初回から早速、コンセプトから逸脱してしまいました。
「旅路の会釈」の他にも、法話的な投稿や、マーケティングやデザイン観点での切り口で仏教を味わえるようなシリーズものを執筆していければと計画中です。

次回から、「旅路の会釈」をきっちり書いていきたいと思います。
(書きたいこと少し決まってます。もうちょっと待ってね。)

合掌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?