金欠ライフも悪くない 楽しんだもん勝ちだよね
借金が見つかって、運良くおじいさんに借りたお金
一旦返済したお金の残りもみるみると減っていきました。
月末がきて給料を袋分けして、何にお金がかかっているか夫婦で見えるようにしてからの夫婦の変化を描きます。
短編でお読みいただけます。
目次
1.年収が上がっても借金は出来ていた
2.金欠スパイラルの脱出口
3.金欠スパイラル脱出のカギ
4.金欠ライフも悪くない 楽しんだもん勝ちだよね
5.金欠でも心を貧乏にしてはいけない
4.金欠ライフも悪くない
給料が入りました。無理して昇進したお金も色がついてまあまあですが、それでも借金は出来ていました。
銀行のカードは旦那である私が管理をし、いくらあるのか妻と共有するようにしました。
我が家は、リセットした気持ちでお互いを尊重し合う一番重要なキッカケだったと思ってます。
そして次に取り掛かったのは、私が固定の支払いを済ませ袋分けしたお金でやりくりを分けた事
封筒にお金を分ける
・ママ管理用の生活費など
・パパ管理用の小遣いなど
・予備
これだけです。
これだけだと所詮、 今まで通りの生活では何もかもが変わらないんです。
そんなことは、鼻から分かってました。
でも、目をそむけていても始まりません。
どうせお金ないんですから、前向くしかないんです。
みるみると減っていくお金に、なんでこんなにかかるんだとか口論はしないようにお互いしていました。
いきなり生活を変えるのは、無理があるだろうし何かできる事はないかなとそれぞれが考えるキッカケ作りのためでした。
お互い気にしないで普段通りやっていってみようと声かけてました。
極力、現金で済ませる
クレジットカードは極力使わず、出来るだけ現金でお金を管理しました。
現金だと、肌身に感じるというか大事に使わないとという気分になります。
私は何かしら生活を工夫しようかなと思うようになりました。
妻は足りてると思ってるみたいで、普通の生活のままです。
でも、1週間が過ぎ、また1週間が過ぎると無くなっていくお金の減るペースは夫婦それぞれ思った以上です。
それでも、お互いを責める事だけは出来るだけ控えました。
とりあえず私はゆるーく時々、弁当男子に
料理は嫌いじゃないですが、職場で冷たい弁当を食べるのが大っ嫌いでした。
それで、昼は外食かコンビニで済ませてましたが、それも満足とは思ってませんでした。
というのも、そもそも外食もコンビニも対してコスパ良くないです。スーパーの弁当も安いのはあっても美味しくないし、揚げ物に偏りすぎです。
高校生の時、唯一牛肉をふんだんに使った弁当だけが気に入った弁当でした。
だから、好きな弁当を自分で時々作るようにしました。
これは、ストレスも少なくて手始めにはとても良かった。
何だって楽しめたもん勝ち
貧乏だろうと何だろうと弁当や料理も工夫して、案外悪くなかったりすると何だか楽しめるもんだなと感じるようになりました。
それでも外せない部分
私は酒代がそこそこ金がかかります。
この楽しみと仕事を混ぜ込んで来たので、仕事の仲間たちは家族の次に大切な方々です。
ある意味、仕事として人生を共有できる唯一の仲間であり、家族に近い存在です。
ここは極端に絞らず、工夫しながらも楽しむことにしました。
なんだか、私ばかりが工夫しているかのような口ぶりですが
嫁からも、ウチの食費は高いかもと漏らすようになりました
はじめに、昼メシを自分で作って持って行くようにしました。
一カ月くらいした後、嫁からそんな言葉を聞いて、嫁も色々工夫しようと思っているようです。
これが家計を見える化しただけで、出た成果
あーだこーだと奥さんから一方的に、ぐーたら旦那に指図しても、なんも変わんないんだなあ心底思いました。
全て晒してしまえば、次の一手は自然とやってくるもんですね
自分からやりたいになる事
都会に就職して、田舎暮らしに戻る事を憧れていました。
田舎育ちなので、その苦労の方が大きいことも知っての事です。
でも、もともと料理は嫌いじゃなくて週末はご飯担当でしたが、安いスーパーを使って
鶏肉も2キロまとめ買いなど始めて、工夫の楽しみを見つけました。
私の親父は梅酒や梅干、普段の漬け物まで全部やってました。
この梅酒と梅干が、妙に美味しいなと大人になってから気づきました。
食費の工夫が、どこか田舎暮らしとリンクした感じもあります。
それでも、足りないお金
でも、リアルはそれだけではダメでした。
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5.金欠でも心を貧乏にしてはいけない
東京ぷらぷら、ぷらリーマン いつの間にか2児のパパ 【借金が見つかってからの夫婦の情景】や【実際に金欠に役立だった事】を書いてます。なんだかんだで、人の役に立つのが好きですが、 根っこは他力本願でぼけーーっ♨︎としたい。本業 ITインフラ屋さん