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生命の祝祭と向き合う距離感.
最近知り合いの祝福が止まらない. 喜ばしい毎日だ. 誰かの誕生日に,誰かが結婚すると報告が来たり, 親友のベビーシャワーを祝ったりと.
今日は, コキアという植物の名前を知れて喜んでいたのだけど, 名前を知ることも生命を感じる.
生命の祝祭を遠くから感じる. 身体が離れてもなお.
失われた祝祭と身体性. 肌触り.
頂いた植木の野菜と会話しながら, 思ったのは身体の距離感を失ってもなお生命の流れや息を感じることができる日常を得ているのだと気づく.
生命に近かないと生命を感じれない疎さと言えばそれまでかも知れないが.
つまるところ, 諸行無常な生命の流れを五感の1つでどこまで没入できるか.
金欠で食べる牛丼と, 数万する牛丼を食べるときの没入感がどれだけシンクロしてるかに等しいのかも知れない.
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