それでも上手くいかない子に何を伝えられるだろうか。
勝負の勝ち負けも大事だし、問題を解く能力も大事だし、研究力も大事なんだけど、屈託のない笑顔が溢れた今この瞬間ほど、生きていてよかったと思う事すら忘れて没入して生きた足跡があるだろうかと小学生と戯れながら考えていた。
いわゆる教育の話で僕の中で渦巻いているのは、結局のところ頭の使い方の話ばかりでもっと生命に根付いたものではないのかという自問だ。
そりゃ課題を見つけて解決できる能力がみんなに身につけば苦労しないでしょうし国民の幸福度は爆上がりでしょう。重ねてGDPとやらも上がるんじゃないですかね。
けれど、試行錯誤して受け取った学生の知的?財産が蓄積されていなかったのなら。大多数ができるになることができないまま“卒業できてしまったのなら。”
ヒエラルキーの上を基準に構築されるシステムに違和感がある。
頭をよぎるのは、死刑を間近に控えた人々に聞いた「今最も恐れていることはなんですか?」という質問の回答で最も多かったのは「自分の存在に意味などなかったと感じられること。」
卒業した時、生きててよかったと。自分を受け入れられて幸せなのかもしれないと思えたら嬉しい。それには時間が必要なのかもしれないけれど。。。。
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