音に身を委ねることは全てを手放してみることから始まる。
こんばんは、おぐです。最近は手癖のような手つきでCity popを聴いてます。特に80‘s。引き込まれる声やベースの奏でる色合いが僕にとってかなりツボなのです。
街の光、反射、電灯、電光掲示板。人工物の光が煌きどこか朧げで微かか幽幻をどこか帯びているように感じられる。
音楽が連れていってくれる世界。決して他のことをやっていると入れない。
ちなみにこれに関してはダニエル・バーレンボエム氏の言葉が頗るしっくりきます。
それが郷愁感からくるノスタルジアへの誘いなのか、音の波が重なり広げる永遠さなのか。そんなことを思い巡らすのだけど最近になってよく分かるのはContemporary jazzが連れてってくれる壮厳さとはまた違った光の連続性、音が召喚する暈けた光の遊園なのだと気づいた。言葉にするのが勿体ないけれど書いてしまった。。。
でもそれほど、小さな無限を感じる。なんだか今見える聞こえる世界の幅が急に広がる。
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