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あることないこと. 創造的な活動?

今日もレッスンという名のゼミという名のセッションという名の対話を終えて, ひと時を過ごしこれから次の打ち合わせに向かうところだ. 

“答えがない”というお題目をよく耳にする様になって久しい今日この頃だけど未知なものへの邂逅と課題解決はまた別個なものだと僕は考えている. jazz  sessionにおける対話とは邂逅だと肌感覚でアンテナが立つけれど, 未解決な何かに対する考え方はまさに課題解決であり, それでしかない. つまり, 課題を発見していく過程というのは邂逅や対話に近いけれど,結果として “課題” を発見し方法を考えるのは謂わゆる “イノベーション” とかになるわけでクリエイティブであるけれどクリエイティブではない. 創造的知的活動であると尊敬してはいるけれどそういう事でもない. 

研究もまた, 創造的な知的活動の一環だと思う. サーヴェイする行動そのもの, 状態がアートだと. けれど, ミケランジェロ曰く, 

「全て大理石の塊の中には予め像が内包されているのだ。彫刻家の仕事はそれを発見する事」「大理石の中には天使が見える、そして彼を自由にさせてあげるまで彫るのだ」。(Every block of stone has a statue inside it and it is the task of the sculptor to discover it. I saw the angel in the marble and carved until I set him free. )

ミケランジェロ

掘るという行為は,後付けに過ぎないとも取れるわけだ. 踊るから,奏でるから音楽があるにではない. 常に “動作” という人類の現象は. 

つまるところ, ロジック脳と感覚脳を持ち合わせています的な謳い文句を胡散臭さを明らかにしているように, 「解決ツールを考えつく行為ができます!」がアーティストであるだとか人類の最高知であるとかの a=d=c が成り立つわけがない. 全く別物だけど, 親戚だよねという話. 

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