薄っぺらい茶番から溢れる薄っぺらい創造物.
先日丁度, アーティストのステートメントについて書いたところだったけれど今日見かけた「デイビット・ボウイのインターネットに対する知見」のTwitterを見かけて頷くばかりか, これ前に書いたなと同意した.
大衆の為に練られた薄っぺらい価値心情が積み重なって生まれる創造物が人類の最高知だと1ミリも思わないどころか, 冒涜だ.
アーティストとファンの間にあるグレーゾーンをどのように埋めていくか, あるいは共鳴し合っていくのか.
絶対的な価値軸において, 神秘性を保った価値が多元的な価値軸において独自の価値を. とどのつまり, マスなゲームからニッチなゲームにゲームチェンジしていったわけだけれどそれは皆さんご存知の通りビットコインの変遷にもあった. 中央集権制の中に寄らない, 民の中で新しい価値や可能性を秘めていたものが蓋を開けてみれば結局回収される茶番.
ニッチなコミュニティから生まれる文化は, 何かしらのコンテクストやヴァナキュラー的な延長線上から出てくる. アーティストの責務だと言っていた, ロバートグラスパーのあの言葉にはまさにそうした時空間を生きる者としての使命感や天命があったのだろう. ”責務“というステートメントは, なぜ君がそれをやるのか?を絶えず世界へ対話している.
ヴァナキュラー: 土着の, その土地固有の
故に, 誰でも発信できる時代だからこそ商品棚に陳列されていく薄っぺらい消費物を共鳴し合う腐ったコミュニティを構築していくことに反吐が出る.
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