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「身構えているときには死神は来ないものだ、ハサウェイ」

昨日, 友人と「閃光のハサウェイ」を観ながら色々と考えていた. 身体にカフェインを入れなければ決断できない現代病のような生活習慣にはいつでも踏み出すための儀式が必要だ. 

受動的な姿勢で構えていても, チャンスも挑戦もすり抜けていく. 自分の弱さを知っていることは, 弱点ではないけれどそれでもなお歩み続けることでしか過去を変えることができない我々は今という瞬間最大風速をそよ風と混同しがちだ. 

覚悟を決めるとは, 踏み出す為の動機としては充分だ. しかし覚悟があっても, 確信がなければ疎いし, 脆い. 

「骨を埋める覚悟」なんて胡散臭くて, 聴いてられないけれどそんな使命感はたしかに勇ましい. 

踊っているとき, 没入しているとき, 過去と今と未来の動きや流れを感じることができる. 離見の離見の見ともいえよう.

踏み出すときに“見えているか”も重要だけれど, それらが繋がっていて, 無重力に行える訓練が必要であり今までやってきた練習とはそれだったんだなと思い改めた夜...

“Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.” Hebrew 11:1 



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